非エンジニアもGithubを使うべき12の理由

こんなツイートをしたら、RTやFavoriteしてもらったので、思いつきで書いてみました。

1. Githubのサイトを見るだけで、開発用語を覚えられる

レポジトリ、イシュー、プルリクエスト、ブランチ、などなど、最初はよく分からなくても、Githubのウェブサイトを見ているうちに、「あーあのページ、あの機能のことか?」と段々分かってくる。するとあら不思議、エンジニア同士の会話もニュアンスがつかめるように。

2. 共通の言語で話せるようになる

「バグを見つけたら、とりあえずイシューを書いておいてください」、「開発中の機能への要望を、プルリクエストにコメントしておきました」、など、共通の単語で会話することで、コミュニケーションのコストが低くなる。

3. バグ・プロジェクト管理、wikiなど、開発に必要なすべてを一カ所で

複数のツールにログイン、アカウント管理したり、内容をコピー&ペーストするなど、非生産的な作業を排除する。また、githubがイシュー→プルリクエスト→コミットなど、関連する情報を自動でリンクをしてくれるので、情報を整理する手間も省ける。

4. コマンドライン、ブラウザなど好きな方法で利用

エンジニアはコマンドラインから、ディレクターはWebサイトから、好きなインターフェースで同じリソースにアクセス、管理できる。

5. ブラウザからコミットできる

ドキュメントやコンテンツの修正ぐらいなら、githubにブラウザでアクセスして、ブラウザ上でファイルを修正、コミットまでできる。

6. githubとグループチャットを連携させて、リアルタイムに開発に参加する

facebookのタイムラインのように、誰が何を開発しているか、どんな議論がされているのかを、グループチャット(IRCやHipchatなど)でリアルタイムに把握できるようになる。大きなコミットをした人がいたら「いいね!」とコメントしたり、ステージング環境にデプロイされた瞬間にテストしてフィードバックしたりできる。

7. エンジニアに話しかけやすくなる

でかいヘッドフォンをして黒い画面に向かっている人にも、グループチャットで@メンションするならハードルが低いかも? プッシュした直後とか、タイミングがよければ、向こうから話しかけてきてくれたり。

8. gitのコンセプトに慣れたら、ローカル環境をつくってみる

ディレクターがgit色に染まるほど、開発者のストレスも減るので、ローカル環境のセットアップなども、きっと積極的に手伝ってくれるでしょう。

9. 個人レポジトリを使って、ファイルの共有やバックアップをする

社内のGithub Enterpriseであれば、グループ内で安全にファイルを共有したり、自分のファイルを個人レポジトリにバックアップできます。Git上のファイルのURLをチャットで共有すれば、ファイルサーバーも不要に。

10. Github上で中身を見れないファイル形式が、段々と嫌いになってくる

Googleスプレッドシートで大概のことができるので、複雑なことをするなら、CSVをスクリプトで操作するほうが、簡単な気がしてくる。エクセルのマクロを覚えるより、rubyでcsvファイルを操作する方が、、、xlsxよりはcsv、docxファイルよりはtextファイルが好きになってくるはず。本当か!?

11. 自分の業務を、スクリプトに代わりにやってもらう

面倒な繰り返しの手作業に5時間かかるなら、4時間半かけてスクリプトを勉強してつくって、30分で実行するようになる。

12. 開発者がプルリクエストくれたり、機能として取り込まれたり

github上の個人レポジトリにアップしてある、へっぽこスクリプトを見た開発者が、衝動的にリファクタリングしたくなって、プルリクエストをくれたりする(ラッキー!)。口で説明しても、なかなか理解してもらえなかった業務フローが、いつのまにか本体の機能としてとりこまれていたり。

以上、結構、実話も含まれております。

5年後の家族の食卓を考える

半年ほど、集中的に取り組んできたCOOKPADの英語サイトを、無事に今月公開することができたので、ちょっと立ち止まって、少し先のことを考えてみたい。食ということに関わり初めて1年と3ヶ月、頭のなかにあるいくつかのイメージを、「5年後の家族の食卓」というかたちにまとめてみる。

家族全員で食卓を囲む時間を増やしたい、というテーマは、そもそも今の仕事を選ぶきっかけでもあった。郊外に住み、東京の会社に通勤していると、平日の夜に家族と食事をすることは、とても難しい。という問題意識から始まったのだけれど、実はこれは日本の大都市固有の問題だということに気づいた。大都市圏に住んでいなければ、事情は異なるし、海外では、例えばサンフランシスコのスタートアップ時代の同僚も、「6時に退社→家族と食事→自宅で仕事」というのは、割と普通のライフスタイルだった。これは働き方の問題なので、食という観点からはちょっと保留。

では、家族の食卓、そのものがどう変わってほしいのか? 5年後の家族の食卓では、目の前の料理についての会話が、もっと盛り上がるようになっていてほしい。料理をした人が、食材やレシピのストーリーを、家族に伝えたり、食べた人がおいしさや感謝を、もっと表現できるとよい。

家族全員がTVを見ながら黙って食事をするのが、一番、味気ない。TVで芸能人が食べ歩きをして「ま〜おいしい!」と言う番組を見ながら、目の前の食事を無関心に食べる光景は、世界から無くしたい。

食卓に並ぶ料理についての会話を盛り上げるためには、もっと話題が必要だ。レシピの生い立ち、食材は誰が、どのようにつくったのか、家族の健康のために、どんな栄養や気遣いがあるのか、などなど、食卓に並ぶ料理にストーリーとしての楽しさ、面白さを追加していく。

5年後の楽しい料理、食卓を実現するために「ライフスタイルにあったレシピの交換」「多様な買い物習慣」「食品の保存技術」の3つの領域に着目したい。

「ライフスタイルにあったレシピの交換」は言い換えると、食習慣が似ている人たちをつなげる、ということかもしれない。自分や家族が大切にしたい、食への意識、価値観を共有する場をつくる。料理のレシピは、毎日の食卓を支える、便利な道具であるべきだけれども、同時に、家族を理想のライフスタイルに導くガイドにもなる。
何を、誰と、どのように食べているのかは、その人を驚くほど的確に表現している。例えば、言葉が通じない異国の人でも、日々の食卓を知ることができたら、信頼や共感が生まれるのではないだろうか。

「多様な買い物習慣」は、毎日のショッピングを、単なる価格比較から解放すること。毎週の朝市で、馴染みの農家さんから野菜を買うようになると、普通のスーパーで野菜の値段を比べながら買う体験が、いつのまにか、とても面倒に感じるようになる。品質と価格を信頼できる相手に任せることで、食材そのものに関心を向ける余裕が生まれてくる。
日本の高度に発展した宅配便だけでなく、Amazonフレッシュや、欧州で有機野菜の配送網を構築したRiverford Organic社、地域に根ざしたCSA(コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャー)など、世界各国で新しい商流が広がりつつある。価格だけでなく、自らの価値観で買い物の意思決定をする家族は、今後、間違いなく増えていくだろう。

「食品の保存技術」は、例えばCAS冷凍などの、より美味しく、安全に、小ロッド、低コストで食品を保存する技術の進歩と、伝統的な保存食品のリバイバルに着目したい。
例えば、料理教室を開いているセミプロ料理家が、レシピと一緒にお菓子やオリジナルの調味料を販売したり、離れた場所に住む祖母が、孫が生まれた娘の料理の下ごしらえをして送ってあげる、などの多様な食品の交換、流通が盛んになる可能性もある。
ファストファッションが世界を席巻する中で、ニューヨークで生まれた手工芸品のマーケットプレイスのetsyが、支持を広げているように、ファストフードへの反動として、伝統的な保存食品がリバイバルしたら面白そうだ。食品を保存する昔からの知恵に、現代風の食材やアレンジを加えることで、各家庭で発見した味を交換するのも楽しそう。

テーブルに並ぶ、ひとつひとつの料理に、沢山の想いやストーリーがつまっている。美味しいだけじゃなくて、伝えたくなる、聞きたくなる。家族の団らんが、食のエンターテイメントになるような、5年後の家族の食卓があったら面白い。

まるのままの野菜を、ていねいに食べる

昨年に受講した「やさい料理教室」のあとに、主催者のひとり、みよしさんからお誘いをいただき、先週末の土曜、内田悟さんのやさい塾に参加してきました。やさい塾は、5年前から築地御厨で開催されている、内田悟さんのライフワークともいえる活動です。

前回の料理教室のあと、関連する書籍を読んだり、内田さんの本を片手に野菜料理をすることで、今回はより全体像を理解することができた気がします。内田さんの世界観、内田流の目線で、野菜を見るとはどういうことなのか?

間違いを恐れずに、自分の理解を端的に言い切ってしまうと、「目の前の野菜が育った姿をきちんと想像して、やさいと対話しながら、そのすべてを美味しくいただく」ということではないだろうか。

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まるのままの野菜をさばいて下ごしらえする。そのためには、その野菜が畑でどのような姿をしているのか想像するのが一番。葉はどのようにつき、太陽の光をエネルギーとして受け取るのか。地面から吸い上げる養分と水は、どこを通り、どのように実が大きくなるのか。どこからが土の上で、どのような暑さや寒さにさらされるのか。

そのイメージと、各部位の味、適した食べ方を、料理のなかでトライ&エラーを繰り返しながら、結びつけて記憶していく。

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必ずしも、すべてを正確に知っている必要はないけれど、野菜を手に取りながら、少しの間、じっくり見るだけで、意外と多くのことを、野菜は語りかけてくるのではないだろうか。それを日常のなかで続けていくと、旬の走り、盛り、名残の微妙な変化にも気づくようになる。

できればさらに、野菜がどのようなグループに属するのか。生まれ故郷は、どのような地域、気候なのかを知ることで、おいしい季節に自信を持てるようになる。

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講義の合間には、「ていねいな野菜料理」の見本ともいえる「旬野菜のワンプレート料理」をいただく。ひとつひとつの料理の説明を聞いて、「これだけの人数の仕込みは大変だろうな」と感謝する。

前回に比べて、そういったディテールを意識することができたような気がします。ちょうど、TEDで似たアイデアのプレゼンテーションを見かけました。学生たちに料理を教えるときに、30分、会話をせずに料理に集中する時間をつくったことで、より多くの気づきと、そして、料理の味が美味しくなった、という話。

野菜って、ちょっとまじめに調べ始めると、すごく難しいんですね。農に目が向くのは必然なのですが、素人が立ち入るには、あまりに奥深い世界が広がっている。その入り口で、しばらく戸惑っていたのですが、ようやく自分の立ち位置を、最近、確認することができてきました。

それは1人の消費者として、手に取った、まるのままの野菜をしっかりと見て、ていねいに食べること。たったそれだけのことだけれど、ちゃんとできるようになるには、相当な経験が必要そうです。