2003年11月26日
クリエイティブ・コモンズをめぐる日本の現状
クリエイティブ・コモンズについて日本の現状がよくまとまっている記事があったのでメモ。
Creative Commons @Japan 「日本のクリエイティブコモンズの可能性」
(HOT WIRED JAPAN)
Creative Commonsの内容と著作権における位置づけを理解した上で、では日本でクリエイティブ・コモンズを宣言した著作物を公開する際にはどのような注意点があるのかが良く分かります。クリエイティブ・コモンズ自体は、現行の著作権に基づく一つのライセンス形態なので、実行にあたっては各国の法律に則った解釈が必要になる。その役割を果たすために、GLOCOMが主体となってクリエイティブ・コモンズ・ジャパンが設立されていて、12月2日に日本語version1.0が公開されるそうです。
米国と日本の著作権の違いで始めて知ったのは、日本の「人格権」にあたる権利は米国には存在しないこと。自分の著作物が、ポルノなどの意図に反した二次利用をされた場合に、人格権を行使して利用を制限できるというのは日本独自の法律だそうです。
またインターネット時代になぜクリエイティブ・コモンズのようなライセンスが必要か?という説明では、音楽ファイル共有などの明らかな著作権違反は別として、以下のような著作物の”消費”と”表現”が一体となったシチュエーションの説明が分かりやすかった。
Q4. クリエイティブ・コモンズは誰のもの?
「消費だけでは終わらない」
作品をプレイする際,その場限りの「消費」で終わらないことがあります。お気に入りのアーティストのライブのために新作のアルバムを買ったり,新しいゲームの感想を話しあったり裏ワザ等の情報を交換したりすることはよくあります。小さな子供だってお気に入りのTV番組や童話のキャラクタの似顔絵を描いて親に見せたりするでしょう。「消費」の後に残る「思い」を某かの「形」でみんなで共有しようとするのは自然なことです。このように「消費」と「表現」が一体で進行する場合には(「表現」行為を制限する)技術的回避手段は消費者にとって「不自由感」を増幅させる強力な「禁則」として機能してしまいます。技術的回避手段がダメだというわけではありませんが,導入するのであれば消費者の「不自由感」をできるだけ低く抑えるよう慎重かつ巧妙に設計されなければなりません。(上記 HOT WIRED記事より)
著作権とは何も、有料で販売されているコンテンツを保護するためだけのものではなく、本来的に創造的な表現すべてを保護するものである。したがってユーザーが使いやすい設計が重要なのだ、という指摘は忘れがちだけど重要ですね。極端なことを言ってしまえば、授業で友達の顔を描く小学生だって著作権の保持者なわけですよね。
あと調べて気付いたのは、著作権関連の裁判の判例について書かれたホームページってすごく多いんですね。インターネットで何かを書いたり公開したりする際に、調べた判例とかの知識をアップしているケースが多いのだと思いますが、著作権に限らず、あらゆる裁判の判例が簡単に参照できるような仕組みがあったら便利ですね。例えば何か気になる事件とかがあってニュースを見ているときに、裁判所がどういった基準で判断を下したのか。裁判所を”お上”として絶対視するのではなく、判断のプロセスを見ることができるように。立花隆さんの「
巨悪vs言論」なんかを読むと、判断に意図が介入しようとするのは最高裁でも、、、ということも。
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Posted by jkanekomt at 2003年11月26日 15:10
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