2006年9月29日

95%の現実と、理想の5%

アラン・ケイ氏のインタビューを最初に読んだ時に、「95%の大人は科学的リテラシーを持っていないのだ。(中略) これは、何に関しても注意深く考える人とはどういう人かということだ。科学者の中にも、物理に関しては科学者らしく考えられても、政治や宗教になると科学者らしく考えない人もいる。」という部分が、今ひとつ、しっくりこなかった。「世の中の大多数は○○だ」ということを、言っているわけではないとは知りつつ。

コンピュータは人間を進化させるか : アラン・ケイ氏インタビュー

だけれども、そのあとにWikipediaについての記事を読んで、もう少しアラン・ケイ氏の言うことが理解できたような気がする。

ITmedia News:[WSJ] Wikipedia対ブリタニカ——優劣めぐりトップが激論 (1/3)

Wikipediaとブリタニカ、それぞれがクオリティーを高めるためのポリシーの違いが明確に現れている。wikipediaは、参加する人がクオリティー高く貢献できる方法を模索していて、ブリタニカは参加する人のクオリティーの維持に関心を持っている。

これは言い換えると、95%の人を5%にリードする試み(wikipedia)と、95%と5%を区別する手段(ブリタニカ)の、方向性の違いかもしれない。

あたりまえだけど、95%は永遠に5%になることはない。それはアラン・ケイ氏が「新しい重要な物事は何でも、5%か95%だ。」と指摘していることで、新しいこと、実現したいことの数だけ、つねに新しい95%が生まれるということだろう。5%とは、たどりつけていない、理想の姿を示しているのだろうか。であるならば、5%は誰でも自分のなかに持てるものなのかも、と思ってみたり。

 

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作成日 : 2006年9月29日 20:38