ここのところ、読んだ本の感想を書きたいなと思いながらも、机に積み上げたままでした。ちゃんと書くには時間が必要。とはいえ、読んだイメージだけでも残しておく随分と違う気がするので、ちょっと手短にでもまとめておこう。
そんなわけで、「誰のためのデザイン?」のノーマン先生の「エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために」から。
何が「いいモノ」なのか、絶対的な正解は無い。それよりも、自分が求める機能や外観、フィーリングなど、その時々にあわせてモノを選ぶ。集中して、間違わないように緊張しながらつかうモノと、リラックスして新しいアイデアを浮かべるために近くに置くモノとでは、自ずとその形態は変わってくる。それは例えば、車やPCというように一つのモノであったとしても、それが使われる場所、時間、目的によって、なにが心地よいと感じるかは様々。
「エモーショナル・デザイン」は、豊富な事例と、様々に方向に広がる議論から、ちょっとまとまりがないようでいて、実はそのなかから選択するという行為自体を楽しむことができる。
プラスティックや金属の素材は、最新の技術を使えば、どのような形にも加工することができる。ソフトウェアやネットワークであれば、そもそも物理的な形状にすら縛られない。姿形のパターンという意味では、無限のデザインが生み出せるわけだ。しかし、豊かなデザインというのは、形の種類が豊富だということではない。むしろ逆に、「自分にとっては唯一のモノである」という愛着を持つことができる、選択することの意味の深さを示すのだろう。
自分にとって最高のデザインとは、自分でデザインをする、という行為そのものなのかもしれない。たとえ見た目が洗練されていなくても、自分の手で削りだした道具には、他にはない味が出てくる。多様なデザインを楽しむということは、そういった色々な人の手によるデザインを、お互いに刺激しあうものとして受け入れられることなのだろうか。
p.301-305
我々は皆デザイナーだ。自らのニーズに役立つように環境を操作する。どんなものを持つか、どれを身のまわりに置くかを選択する。組み立てたり、購入したり、配置したり、改造したりする。これらはどれもデザインのひとつの形式だ。
(中略)
我々は皆デザイナーだ。そうである必然性があるからだ。我々は自分の人生を生きていて、喜びも悲しみも、成功も失敗もある。人生を通して、自らを支えるために自分の世界を構築する。それぞれの機会、出会った人、訪れた場所、手に入れたモノは、特別な意味、特別な情動的感覚を引き起こす。これらは自分自身、自分の過去や未来への絆なのだ。何かから喜びが得られたとき、それが人生の一部となったとき、それが好きになる。デザインはこの方程式の一部である。じかし、個人的なインタラクションが鍵である。モノの特別な特徴が生活の日常的な一部となったとき、その美しさ、行動的要素、あるいは内省的要素のいずれかにかかわらず、満足がより深まったときに愛着は獲得されるのである。
ウィリアム・モリスの言葉は、この本のプロローグにピッタリだったように、締めくくりにもふさわしい。
誰にでもあてはまる黄金律を一つ言うならば、それは、家の中に、役に立つとは思えないもの、あるいは美しいと感じないものは置かないということだ。

- エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために
- ドナルド・A. ノーマン Donald A. Norman 岡本 明
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