2007年6月24日

ホクレア号 : ハワイイから日本への航海

先週末、6/14の土曜日に横浜港にホクレア号を見に行ってきました。今年の1月23日にハワイ島 Kawaihae を出航。ミクロネシアのサタワル島を経由して、6月9日に横浜港に到着。実に149日の長い航海。横浜みなとみらいの近未来的な高層ビルを通り抜けた先の、小さな桟橋にホクレア号は係留されていました。

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今回の航海は、大きく分けて二つの行程に分かれていたそうです。まずはハワイ島から、ミクロネシアのサタワル島、ヤップ島へ(Ku Holo Mau / Sail On, Sail Always, Sail Forever)。そしてヤップ島から日本への2000Kmを超える航海。日本への航路が、ホクレア号のホームページに掲載されていましたが、このような島のつながりで描かれた地図を初めて見ました。地図上の空白である海。風の力と、近代的な機器をいっさい使用しないスターナビゲーションで渡るには、あまりにも広大に見えます。

航海の中継地点にあたるミクロネシア、サタワル島。その島を訪れることは、今回の旅でも特別な意味を持っている。ホクレア号の船長を務めるナイノア・トンプソンに伝統的な航海技術を授けたのが、サタワル島出身のマウ・ピアイルグ。ハワイイでは途絶えてしまっていた航海術だったが、ミクロネシアでは20世紀後半までは伝統的なカヌーで、実際に遠洋航海をしていたそうだ。池沢夏樹著の『ハワイイ紀行』の第九章 「星の羅針盤」より。1976年、ホクレア号が初めてマウイからタヒチに航海した際の記録について。

この時の記録を読むと、文化が違えばものの考えかたが根底から変わってくるということがよくわかる。西洋式の航海術ではその時々の自船の位置を緯度と経度を記した海図の上に記録することが何よりも大事とされる。そのための羅針盤であり、六分儀であり、精密時計であり、計算機である。それに反して、マウ・ピアイグルのやりかたはもっと総合的で、反射的で、一言でいえば生きている。何日も曇りが続いて星も太陽も見えなかった後で夜、一瞬だけ北極星が見えたとする。それで彼は自船の位置を推測し、この先のコースを決める。この広い海のどこかにいたことは確かなのだから、曇りの間にどこを通ってきたかはどうでもいい。基本になるのは星と太陽と風とうねりだが、雲や海鳥や海面の色や燐光(りんこう)も大きな助けになる。彼は海全体を読んでいるのだ。

ハワイイ紀行 p.384 』 より

今から、約6000年前から2000年前にかけて、人類は太平洋の島々にカヌーで移り住んでいった。「人を未知の地に押し出す最も大きな要因はロマンチックな好奇心や冒険心だけでなく、人口の圧力である。ある場所にあまりにたくさんの人間がいると食糧の不足などの理由でどうしても争いが増える。圧政の下にある者は自由な天地へと逃れようと考える。(p.376)」 池沢夏樹氏は、輝かしい航海史の裏にある数多くの失敗(すなわちそれは死を意味するのだが)と、その膨大な失敗の上に積み上げられた、生きる技術としての知力の重要性を指摘する。静かに停泊するホクレア号。コンクリートに固められた港の中で、その小さなカヌーが輝いて見えるのは、人が伝承として受け継いできた、生き抜く力、そのものを象徴しているからなのかもしれない。

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ホクレアとは星の名、西洋式の星座で言えば牛飼い座のα、アルクトゥールスと呼ばれる星である。ハワイイ語でホクは星、レアは喜びとか幸福を意味する。それだけでなく、アルクトゥールスはハワイイの真上を通る星である。七月のはじめならばこの星は夜の七時ごろ、ちょうど天頂にかかって見える。この星が頭の真上を通れば、自分たちはハワイイ諸島と同じ緯度のところにいるとわかる。南からやってきた者はこの星がだんだん高くなるのを見て、自分たちがハワイイに近づいていることを知る。帰路をたどる船にとって、ホクレアは故郷の星なのだ。

ハワイイ紀行 p.382 』 より

 

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作成日 : 2007年6月24日 20:59