Mozilla & Shibuya.JSイベント、とても面白かった。John Resigさんの講演やQ&Aを聴いていて、何となく感じたのは、プログラミングも表現の一形態であるならば、色々な書き方ができることが重要なのかな、と。道具としての効率性、という面だけから考えると、皆が同じツールで、同じ書き方、できるだけ再利用して作る、というのがよいように思えるけれど、逆に多様性を重視するならば、同じ目的でも、できるだけ多くの人が、それぞれ異なる視点で、自分が素晴らしいと思う方法をアウトプットしたほうがよい。
仕様標準(ECMA) < 実装(JSエンジン) < 実行環境(ブラウザ) < JSライブラリ(JQuery) < 用途別プラグイン(Lightbox.jsとか) < ウェブサイトでの利用
という階層があるとすると、後ろに行けば行くほど、特に最近、爆発的に多様性が増している。写真のスライドショー表示ライブラリとか、いったいいくつあるんだっていう感じ。そういう具体的なアプリケーションは、人それぞれの好みや個性が、わかりやすく表現しやすいので、お互いにインスパイアされながら、どんどん新しいものが出てくる。結果的に、ものすごい勢いでその領域が進化していく。
Lightbox.js のような写真のスライドショーするライブラリ沢山
そういう速い進化は、最初は戸惑うけれど、一度慣れてしまえば、後戻りすることはない。なぜなら単純に面白いから。ひとつのポイントは、「車輪の再発明」をするのではなくて、「他の車輪を良く見て、自分だけの車輪をつくる」っていうこと? そういう表現自体を、単純に面白いと感じるなら、なぜそれを、より低いレイヤーでやってはいけない理由があるのか? どのレイヤーを共有して、逆にどのレイヤーでは多様性を許容するか、っていうのは時代とともにダイナミックに動いているのかもしれないので、その空気感をシェアできる環境としてのインターネットがあるのかなーと思ったり。

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