面白いか、面白くないか、それが問題だ。と言うのは簡単だが、面白いという尺度ほど、あやふやなものはない。この本は、あの本より20センチぐらい面白い、とは言えないので。
クオリティーという単位は、ある程度の基準にはなりそうだ。それなりに読む経験、見る回数を重ねれば、ある一定の基準に達しているものは分かるようになる。ただ、粗削りだが、あるいは舌足らずだが、面白い。と、いうこともあるからやっかいだ。
なぜ面白いと感じるのか、理由をつけてみよう。興味のあるジャンルだから面白い。好きなタイプの文体だから面白い。自分の疑問に答えてくれるから面白い。なんとなく具体的になった気もするが、すこし個人的すぎる感じもする。
もし、この理由づけの部分が、社会的、歴史的に十分に意味があるとみなされると、例えば、ある書籍への感想が、書評と呼ばれるようになるのかもしれない。
『社会的な意味』は、流行として目に見えやすい。ある特定の時期に、多くの人が納得する、いわば横のつながりを書き表すこととも言える。他方の『歴史的な意味』は、ひとつの分野のなかで、物事を結びつける縦糸の役割をはたすこと。縦のつながりは、伝わる範囲は狭いが、長い時間をかけて、歴史のなかで意味を深める。
話を戻して、個人的な感想は、この座標軸のなかでどこに位置するのだろうか? 縦と横、そのときの関心や、出会いに影響をうけて、ふらふらと、自由気ままに移ろうのだろう。そして、その動いた軌跡が線を結び、その人の分身としての姿を浮かび上がらせるのかもしれない。感想を書き続ける、というのは、そんな自画像を描くような行為なのかもしれない。そんなことを考えつつ、机の上に積み上がった本の前で、腕を組む。

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