2003年11月29日

体と向き合うこと

 ブラッド・ピット夫妻、二コール・キッドマン、ミッシェルファイファー、そしてマドンナがはまっているものといえば・・・そう、「ピラティス」である。 
 ピラテスは、最近では女性誌でとりあげられることも多いし、ジムのプログラムにもたくさん入っている。セレブが夢中、とか、NYでは当たり前だ、とか色々言われている。本も何冊か出版されているけれど、これは、出会ってよかった、と思う種類のエクササイズ!
 ピラティスは、考案者ジョセフ・ピラティス氏の名前をとったもの。病弱だった彼が、正しい呼吸が正しい姿勢を、そして正しい体の動きを導くのだと気づき、教え始めたところからスタート。最初は負傷兵のリハビリから始まったそう。その後、ダンサーや舞台芸術家がはじめ、いまでは老若男女、運動が苦手な人でもOK、ということで多くの人が始めているのです。そう、マットレスの上で行なうこの運動は、確実に体を正しい姿勢に導き、きれいな筋肉をつけてくれるのだけれど、全然ハードな運動ではない。だから、お年を召した方もクラスにいるし、妊娠している女性もしている。
 さて、私とピラティスのつきあいは、6ヶ月くらいまえから。ある雑誌で目にして、WEB検索をしてクラスを見つけて行ってみたのだ。人によって違うのかもしれないけれど、もう、第一回目が終ったら「関節がぐらぐらするー」という驚き!背中がまっすぐ、歩くのもまっすぐ、上を向いて眠ってしまう!(上を向くのは体が曲がっていない証拠だそう)
 ピラティスは、考える運動、と言われているけれど、まさにそう。どこの筋肉を使っているのかを考え、呼吸に気をつけて頭を使っていると、他の事を考えずに没頭してしまう。これもリフレッシュになるひとつの理由だと思う。
 少しずつしか続けていないけれど、それでも、体が柔らかく、ゆがみが正されてきていることを感じる。一週間に一回でも、自分の体に正面から向き合うということの心と体に作用する心地よさ。これは、どこでも、いつまでも続けられるエクササイズ。もう少しまじめに取り組むべきだけれど、とりあえず、少しずつでもやってみるのが良いのだ!ヨガのようなリラックス効果もあるこのピラティス、ぜひ試していただきたいです。
 
 おすすめの本を、2冊。
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「ピラティスダイエット 綺麗の法則」 酒井里枝 青春出版社
⇒一番大切な基本姿勢の作り方を詳しく解説してくれる。基本のピラティス11を丁寧に説明していて、使用する筋肉をイメージするポイントのまとめがわかりやすい。「考える部分」の説明がしっかりしているので、運動する前のマインドセッティングがしやすい。ピラティスのクラスで言われる注意点等が含まれているため、クラスの後に練習するときにうってつけ。付録に、日常生活にピラティスを取り組む方法が紹介されている。また、切り取り式エクササイズカードがついているので、手帳にはさんで持ち歩こう!

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「ピラテスのすべて」 山口実由紀監修 AC MOOK
⇒ウォーミングアップ10種、ベストエクササイズ24種をすべて写真で紹介している。はじめて取り組む人にはおすすめ。 24エクササイズは少し多い気がするけれど、慣れると1時間くらいですべてできる。ピラティスは、一つ一つのエキササイズを3~10回くらいしかしないのだ。付録に、ピラティスをより効果的にするためのアロマセラピー、リンパマッサージ、食生活などの情報つき 総合的に自分の体と向き合う気分が盛り上がる一冊!

 どちらも良い本だが、何よりも一度はクラスに行くことをおすすめする。一番大事な基本姿勢が本当に正しくできているかどうか、は先生にみてもらうのが良いのだ。「ジムに入るのは・・・」という方や、「毎週同じ時間に通うのは難しい」という方にもおすすめのクラスがこちら。
 ピラティス・ムーブメントスペース主催のクラスは、火曜日、木曜日、日曜日。詳細は、HPでチェックしていただきたいが、1時間のレッスンが2500円で受けられる。予約なしで先着15名~20名くらい。初心者、中級クラスなどがある。気軽に参加できる雰囲気ですよ。
≫詳細・・・ピラティス・ムーブメントスペース (レッスン内容をチェック!)

2003年11月26日

Pick up Art: 「kutusita/?」

 どうも好きでないものに、夏のkutusitaがある。あのまとわりつく感じ、足首にわっかができるのもわずらわしい。勝手に片一方がなくなるルーズなところも、たまに弟がはいて(しかも伸びる)しまうような所属意識の低さもkutusitaにはみられる。
 ところが、冬の一時は、彼らが救世主となる。ソックスをはいたまま眠ると冷えが改善されないと聞いてからは素足で眠っているけれど、とりあえず翌朝にそなえてベッドに一足入れる。ひとり秀吉。つぎに、何といっても、冬のkutusitaには主役級の任務がある。クリスマスの日のプレゼント。子供の頃は、いかに大きなソックスを用意するかを気にしたものだ。(確かある年に祖母から靴下に入れた大きな靴下(マイケルジョーダンよりも大きい)をもらったことがある。考えてみたら、プレゼントで大事なのは量より質なのに。。)それから、冬の靴下は、雪模様とかノルディック柄とかかわいい。とりあえず、何でもいいけれど冬はお世話になっているから、ここはほめないといけないような気がする。
 そんなこんな(?)な靴下=kutusitaを、イラスト、写真、はけるもの、はけないものなど色々あつめているのが、「kutusita/?」。出展作家の一人の「アトリエ兼ギャラリー兼Shop兼Cafe兼憩いの安心空間」が、会場。鎌倉です。〔⇒アーティストとアートラバーとのんびりラバーがみんなで楽しめるスペースを作りたいという思いから始まったblog。リアルに提供しているこのスペースはぜひ見てみたいです〕
 お気に入りのkutusitaをはいて、出かけてみよう。

■kutusita/?
日時: 03年11月23日(日)~03年12月25日(木) 
     14:00~19:00 月火休廊
     (但し、11月24日・12月24日はopen)
会場: GENBAGEN +1. +2.     
     〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町3-1-17 
     TEL0467-22-4419
参加作家:
     aiko-nakano、hamaguchi-kei、fukuoka-makiko、
     tuyuki-tosinori、tama、nishimura-reiko、odagiri-miho、
     enokoro、fujikura-miho、tomo-satho、ookoso-youko、
     shushu、hiki、fu-sa
クロージングパーティ:12月25日(木)夕刻~

※水戸美術館MLinfoより

2003年11月19日

石焼き芋

冬のハピネスのひとつである石焼いもの味を自宅で再現できるものを発見。その名も「石焼いも壷」です。壷の底に付属の石を敷き、さつまいもを入れてそのままガスコンロの火にかけて25分。石と陶器のダブル遠赤外線効果によって、さつまいもの味が120%引き出されるの!だそう。コレは、要チェック、さっそく石焼いも好きの方のクリスマスプレゼントにノミネートしました。詳細は、ビッターズで。

*「石焼いもが好きな人は迷わず入札して下さい。絶対に後悔はさせません」という
pubと購入者のコメントが、買ってみようという気にさせます。
・始めは半信半疑でしたが、まさに激ウマでした。「焼きイもやさんごめんなさい。」という感じです。ジャガバタも最高。 ⇒「焼き里芋+お塩」もおいしそう
・焼き芋屋さんから買う必要が無くなった、というコメントがありましたが、そのとおりですね(笑)
・コメント信じてよかった~!

2003年11月18日

わお、CAF展

 先日PICK UP ARTで紹介したCAF展に行ってきました。襖2枚くらいの大きさの絵が、たくさん並んでいて、それぞれのエネルギーの強さに圧倒されました。今日は素直に見よう、という思いで見に行ったためか、受けたエネルギーの強さに熱を出してしまったくらいです。作家の坂谷さん、五嶋さん、主催の高木さんに少しお話をする機会があり、言葉にならないまま何とか感想を、と奮闘したところ、想いは皆さんに伝わったようでした。サイン入りの図録をひとついただき、家に帰ってからじっくりと見させていただきました。どうもありがとうございました。
 さて、内容については、あまりにも多様な作品があり、限られた時間のなかでは、「これは何となく気になる」と印象を受けるのが精一杯でした。展示空間の限界も少し感じましたが、(それぞれの絵の波動が重なるくらいスペースが少ないので)そういうマイナスな表現は必要ないくらい、様々な表現を目にする良い機会だったと思います。140くらいの作品をババッと見ると自分が今気になっている種類・スタイルというものの傾向が見えるので面白いものです。(見ながらつけていた簡単なメモと図録をあわせて見ていたら、明るい色のものが気になっていて、立体的なものや空間を感じるものの印象が強かったことがわかりました。別の時期には別の受け方があるのかと思うと、人の心と芸術のかかわり、について考えて見たくなります。)
 現代アートというと、「テーマはなんだろう?」とか、「コレはなにを表しているのだろう?」と考えがちです。でも、今の私のようにアート=自分のエネルギー源という段階にあったり、それを批評する立場にない人は、シンプルに「エンジョイ」するだけでよいのではないかと思います。「あ、おもしろい、この色」「どうやって、プツプツさせてるのかな。あ、布だ」、「白いキャンバスに黄色が少しだけ?、あ、地面の石はなに?」、「ハハ、おもしろい」、「私もできそうー」とか(笑)
 何かを表現してみたい、という想いがあるならば「私はアーティストではない」とか、「絵は下手だもん」とかそういう言葉は必要ないように思いながら帰宅しました。本当はそんなことないのかもしれないけれど、アートはそういう教育とか職業とかではないのではないでしょうか。何かを生み出そうとするときの苦しい作業は、自分を見つめること。外と内がつながって、切れて、独立して、知って、深まって、表に出して、また戻って。一人ひとりが異なったルートでそういう作業を行なうならば、表現の方法も無限にあるのではないでしょうか。
 と同時に、矛盾しているのは、明らかなアーティストというものが存在するということを私はハッキリと感じ、知っているのです。疑問なのは、例えば、新聞紙一枚を壁に貼り付けて「これが私の表現方法、アートです」といったときに、それはアートなのだろうか?とういことです。アートってどういう定義があるのだろう?人に伝えるためだけではないけれど、伝わらないものは(好きも嫌いも含めて)何なのだろう?アートとアーティストってなに??という疑問がわいてきたのですが、これについては、もう少し考えて、書いてみます。
 最後になりますが、もしもCAF展@アイスランドを目にする機会があるならば、ぜひ足を運んでみていただきたいと思います。埼玉以外の場所で開催されたら良いのに。。

2003年11月15日

Pick Up Art: 「2003 CAF展」

 国内外の前衛的な現代美術作家134人の作品を展示した「2003CAF(コンテンポラリー・アーツ・フェスティバル)展」が、さいたま市浦和区の県立近代美術館で開かれている。海外からも25人が参加しており、現代美術の展示会としては国内最大規模という。「作家の世界観を素直な気持ちで鑑賞し、独自の世界に浸ってほしい」と読売新聞に語るのは、実行委員会代表の高木康夫氏。
 CAF展の前身となる「埼玉美術の祭典」は、高木さんが浦和一女高の美術教諭だった1977年。県内作家の作品を地元で身近に接する事ができるようにということからのスタートだった。しかし、「自然主義的な作風が主流の埼玉県で作品を紹介しても認められない」という作家が多く、さらに、野外展示の広告が倒されたり、盗まれたりする嫌がらせも当初はあったそうだ。
 高木さんは、作家一人ひとりを訪れ、「芸術は地元住民に理解されてこそ意味がある」と力説し、徐々に著名作家が出展するようになったそうだ。来年は、アイスランドでの展示会が決まっている。
 作家へのアンケートで「お客さんと直接話がしたい」という意見が多いのを知り、作家が自分の作品を説明するアートトークも設けられたそう。 ⇒ビューアーとしても作家と語れる場は魅力的。少しずつ増えているけれど、こういう機会を楽しみたいものです。

■2003 CAF展
11月16日まで 10:00-17:30(最終日は16:00まで)
入場無料
埼玉県立近代美術館(048-824-0111)

2003年11月14日

Pick Up Art:「CELL-osmosis NAWA Kohei」

アップリンク・ギャラリー主催の第1回キュレーター・コンペティションのグランプリ受賞企画「CELL-osmosis 名和晃平展」が開催されている。
作家の名和晃平はキリンアートアワード2003で奨励賞を受賞、美術手帖12月号では新人アーティストを特集する「ゼロゼロエボリューション」のコーナーで取り上げられるなど、現在アート界が最も注目するアーティストの1人です。(HPより)、コンペのグランプリ受賞者は、キュレーター永吉文子氏。

アートNPOのA.I.T.ディレクターの小沢有子さんが現在のキュレーションの流れについてこのように言っている。キュレーションには、ふたつの流れがある。ひとつは、方法論方のキュレーション。「持ち運びしやすい小さな作品」という出品作品の共通項を持ち、展覧会が移動しながら作家や作品も変化し続けるというコンセプトの元に企画されているタイプのキュレーション。もうひとつは、時代の先鋭的な部分を切り取り、それを呈示するタイプのキュレーション。 ≫READ MORE

小沢さんは、今回のグランプリと優秀賞の作品を後者のタイプと位置づけていらっしゃるが、時代の先鋭的な部分はどのように表現されているのだろうか。アップリンクギャラリーは、カフェが併設された西早稲田のギャラリーです。お散歩がてらにどうぞ。


■第1回キュレーター・コンペティション 

グランプリ受賞企画「CELL-osmosis 名和晃平展」10月30日~11月24日
アップリンクギャラリー ≫MAP

■キュレーター・トーク
NO1.
11月16日(日)19:30~ ゲスト:ロジャー・マクドナルド
(NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT]副ディレクター)
…マクドナルド氏のキュレイションする新しいスタイルの展覧会、Moving Collectionの一部がアップリンク・ギャラリーで展開される!キュレイションのディレクションとアーティストの関係に焦点をあてて、キュレイションのトレンドを読み解く。

NO2.
11月21日(金)19:30~ ゲスト:児島やよい
(キュレーター、アート・コーディネーター、慶応義塾大学非常勤講師)
…奈良美智展やHOPE展、中川幸夫展等のキュレイションにおいてキュレイターとアートコーディネーター、2つの肩書きを行き来されている児島やよいさんを迎え、その意識と関わり方の違いについてのトーク。

■アーティスト・トーク
スペシャルゲストを迎え、人間の知覚と創造性について考えながら、名和晃平の作品世界に深く切り込む企画。

   「視覚にとって世界は表面の連続であり、私たちは物を『表皮』において
    感知し認識する。だからあるものがリアルに感じるかどうか、決定的なのは
    その表皮の質なのである」(名和晃平)

NO1.
11月23日(日) 15:00~
名和晃平×木幡和枝 (東京藝術大学先端芸術表現科教授)

NO2.
11月月24日(月・祝)15:00~
名和晃平×布施英利 (東京藝術大学助教授:美術解剖学)

各回とも ¥1000(1drink付)定員50名 予約制
予約は、特設サイトにて受付 ⇒http://www.uplink.co.jp/gallery/cell/talk.html

2003年11月13日

アーテリジェントスクール

“アーテリジェントスクール”は、六本木ヒルズが主催するワンデー文化講座

 ・アートを語る感性を磨く。アートリテラシー講座
 ・山咲サトルの「実践!メイクアップテクニック!
 ・エレガントムーブメント「人が注目する美しい動作」
 ・コロンブスの卵~親子で楽しめる、発想の転換によるモノづくり講座~
 ・田崎真也ワインサロン講師によるワインとチーズ入門講座
 ・知ってる?!知的財産のお仕事~今注目の、知的財産業界をのぞいてみよう~
 ・自分でデザインする、「キャリアづくり基礎講座」
 ・プロのディーラーに学ぶカジノ講座

をはじめとした各種講座が約180回開催されます。リクルートとのタイアップのこのプログラム、本格的に始める前に試してみたい、いろいろ経験してみたい、お稽古日を定めるのが難しい、という現代女性のハートをギュギュとさせるラインアップです。まずは、カジノ講座でしょ!

■六本木ヒルズ アーテリジェントスクール
11月16日から2月15日まで、毎週日曜日に開講
受講料3000円(材料費別の場合もあり)
各講座は定員になり次第締め切りなので、WEBでチェック⇒申込しましょう
11月16日から12月日のプログラムは、コチラから

朝の道

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朝6時の新幹線にのるために猛ダッシュをしたこの道
清水を目指してひたすらに歩いたこの道
タリーズ片手にぶらぶら笑ったこの道
しかめっ面で議論を取り交わしたこの道

変わることは必要なことだとわかっているけれど
変わることは新しく何かを得ることだとわかっているけれど
浮かんでは地面に落ちる涙だけが仲間のように
この道を懐かしく思い出していると
変わることを選ぶ自分への自信までもが水に溶けるよう

思い起こすと驚くほど楽しく豊かな時間を過ごした時期に、この道はただの道だったのかもしれません。でも、ただの道ではなくなってしまった。客観的に見るだけの時間と距離ができ、着実に自分の中から別のところへ(思い出といわれる部分)にうつっていく過程を実感するのは正直寂しいものがあります。自分のために変わる勇気を持ちたいと思い、でも、あと一歩を踏み出す事を恐れている。でも、ここで踏み出さなくてもいずれまた対面するときがくるのではないか、と思うともう少し勇気を出そうかという気になる。自分に責任を持つことを意識しながら、大いなるものへと身を任せ、流れに身を任せる信頼をもつこと。自転車に乗るほどにこれを簡単に出来るようになっている人がいます。自転車に乗れたら簡単だよーと言ってしまうけれど、乗れない私は補助輪状態です。母や父が長年研究、実践してきたことを私も勉強を始めました。エネルギーを集中させても至ることのできないところが見えている。そこまで手が伸びないものか、と自己との対面に苦しくなります。「年齢の問題。その若さでは。」と言われ、あまりにも性急に求めすぎているのかもしれないと心を落ち着かせながらも一日も早く自己の確立をしたい、と思ってしまうのです。のん気な私だけれど、まじめすぎるところもあるのかなー。もっと人生を信頼して、あずけちゃおうかなー。一枚の懐かしい風景を前にわずか数ヶ月の間の変化を振り返ってみました。片手にコーヒーを持ちながら。。

2003年11月12日

Pick Up Art: ピカソ・クラシック ~感じる手~

 常に芸術の最前線にいた20世紀の巨匠、パブロ・ピカソ。その彼がキュビズムの時代を経て数年間「古典」に回帰している。「ピカソ・クラシック」では、日本初公開174点を含む、184作品が展示されている。ロシアバレエ団、最初の妻であるオディールとの出会い、息子パウロの誕生。1914年から1925年までの作品群は、私たちがあまり目にすることのないピカソの一面を見せてくれる。構成も良い展覧会である。
 ユーモアと優しさ、徐々に迫る離別を感じさせる作品の中で、一枚の絵が私の目を離さなかった。1922年にディナールで製作された「海辺の家族」である。砂浜に横たわる父、父の耳元か頭に小さな手を差し伸べる幼い子、そして、我が子の背中に手を添える母。解説には、ピカソが美化して描いた自身の家族の絵だろう、とある。だろう、と書かなくてはならないのは、断定できないからだが、私はこの絵から溢れる愛情を感じて、視界がゆらいでしまった。これは、ピカソの愛の形のひとつだと断定したくなる。
 30cmくらいの小さな絵だ。全体から優しさが伝わるが、特に私をひきつけてやまない部分がひとつあった。「海辺の家族」の母の手だ。母の手は、美しい。その手に釘付けになってしまう。大きくて、丸くて、やわらかくて、つややかな肌色はあたたかい。その手から目が離せない。目を閉じると、子供に添えられたその手がまぶたに浮かぶ。なんとも言えないこの感覚。母の手に、感じる。感じるのだ。
 2枚の絵が並んでいるとしよう。一枚は本物、一枚はとてもよくできた印刷。このとき、本物からは、画家の込めるエネルギーを受ける。質感の違い、とかそういう次元ではない。ピカソに限らず、だ。 「海辺の家族」から私が感じた慈愛をぜひ感じてみていただきたい。
 ちなみに、この作品の隣にある「かけっこ」は、女性ふたりを描いた非常に有名な作品。のどの動きや手足の伸び、空気の透明感に「自由」というエネルギーを感じる作品である。この2枚があまりにも強烈だったので、全作品を見終わった後に、「もう一回目にしたい!」と思って、訪れる人々を逆流して2回も見直してしまったほどだ。

■「ピカソ・クラシック 1914-1925」 PICASSO CLASSIQUE 1914-1925
2003年9月20日(土)~12月14日(日) 
上野の森美術館 (JR上野駅公園口より徒歩3分) 
午前10時~午後6時 (入館時間は閉館30分前まで)
※毎週金曜日は午後8時まで

2003年11月09日

お返事

>なるほど。変わらず、表現とは何かを模索中なんだねぇ、
>終わりなき旅だねぇ。

表現とはなにか、美とは、言葉とは、人とは、生きるとは、、、こういうことは、一生をかけて探していくことですね。人の幸せとは何か、ということが根本的な私の疑問というか行動のベースにあるようなのですが、自分の幸せについてもはっきりとはいえない。物質的なものでないのは事実だけれど、物質的に生きている現状との折り合いのつけ方とかが見えていない。それでも、意識しているだけで、少しずつ前へ進んでいっているのを感じます。

あなたが言われたように、表現とは何か、を模索する旅に終わりはありませんね。表現とは何か、について文章を書いているアーティストであっても、その時々の答えがあるだけで、普遍的な答えは持っていないのですよね。その時々で最上の努力というか、誠実さで何かを出していくけれどその形に安住することなく、次に移っていく。
そして、またうつっていく。
終わりは、どこなのでしょうね。

瞑想ならば、繰り返し繰り返し進んでいって、解脱するまで続く。表現の終わりが解脱なのかどうか、はわかりません。「表現できなくなる」という個人の限界にあたらない限り、どこにいきつくのでしょうね。人は個人の生をまっとうしようとしているけれども、高次では、全員がひとつなのだと考えると「表現の解脱」は、一個に限らず、全体を突き動かす何かなんだろうか。そもそも何も生まない個人の表現なんてあるのかしら?見ても、読んでも好き・嫌いを生まないものなんてあるのかしら?あらら、ゴチャゴチャしてしまいました。

10年間くらい疑うことなく抱いていた夢をはじめて疑問視しました。少し違う道、というか方法を望んでいることに気がつきました。最初は、そのためにがんばってきたこと、選んできたことが間違っていたのか?とショックを受けなかったといったら嘘ですが、結局そのときどきに選んだことも、今大事にしているものも、根底に流れている価値観は一緒だったようです。

わずかな気づきのために結構なエネルギーを使いました。でも、頭でわかっている状態から、肌で感じるような状態にまで落とし込めた事に満足しています。私は、もっとテキトウになる方が良いのかもしれませんね(笑)

また、書きます。

色づいた葉っぱが講堂の窓からちらちらと舞っていました。午後の夕日を受けた赤や黄の旋回は、明るさの中の暗さや鋭い幸せと寂しさを感じさせ、時空が切り取られるような感覚を生みました。幸せなのに寂しいなんて、複雑ですね。