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July 21, 2004

自然とのシンクロライフ (南方熊楠~ガイアシンフォニー)

 100年前にエコロジーという言葉を使い、日本で初めての環境保護活動を行った人物として知られる南方熊楠(みなかたくまぐす)の番組をみました 熊野の森を守るために合祀の令を掲げる議会と真っ向立ち向かうその姿勢は、徐々に人々の心を動かし、決議を返すほどの力を持つ運動となりました 100年前のことと考えると一人の人の思いが国を変えるためにどれほどの情熱と行動が求められたか計り知れない それなりに真剣だけれどまだまだ真剣さや課題意識の足りない自分をふりかえらざるを得ません 
 エコロジー(生態学)という言葉は、アメリカ・ロンドンの留学後に熊楠が日本に初めて持ち込んだ概念  自然と人間の世界の両方をひとつながりのものとして考えながら、生命の世界がいかに多様で 複雑な相互関係を持って広がっているかということに目を向けていた熊楠ですが、彼の活動の根底には仏教を基礎とした世界観があったようです 仏教が西洋近代科学の考え方を先取りし、それを乗り越える方法すら内包していると捉えていたのです 
 この部分、不勉強でこれ以上はよく分かりません ただ、キリスト教の家庭に育ち、シュタイナー的教育を受け、ヴィパッサナーと瞑想をし、イスラム圏に過去生を感じる身としては、これが真実だ、と教えられてきた西洋的なもの、科学的なもの、形が見えるものや枠組みだけではない、何か壮大なものの力を感じずにはいられないのです 未開なもの、過去のもの、例えば先住民の人々の生き方や知恵を遅れた文明として扱ってきたけれど、偉大なる力と生きる叡智は彼らの自然と共存した生き方の中にこそあるのかもしれません 当たり前の考えだと知っているけれど、実際にすべての生命と一体と感じる生き方にはまだまだいたれていません もっとマイペースに生活したいです・・・

WS000171.JPG 
 ガイアシンフォニー(以前ご紹介)5が今年の夏に公開されます 心から楽しみです 監督の龍村仁さんの「地球(ガイア)のささやき」は、ガイアシンフォニー1を撮り始めた頃の文章です 文中でたびたび出てくるシンクロニシティー(共時性)は、気づけば気づくほど頻度と感度が高くなるものです 人や状況とのシンクロへの反応は高い私ですが、これからはもっとネイチャーとのシンクロしていることを意識していけるような生活を送りたいものです ヨガやサーフィン(これからがんばるー)はその第一歩としていい感じに働いています そんな感覚がします あとは食生活です(残念ながら希望していたマクロビオテックのお料理教室は50倍の抽選もれでした 自分で試してみよっと)



地球(ガイア)のささやき
龍村 仁

龍村さんのほかの書籍

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9 Comments

おはようございます
朝から心がクリーンになる様な文章をありがとうございました

どんな事でもそうですが、初めての発想を持ち込み唱えるとい
う事だけで大変なのに、国を変えてしまう程になったというの
は本当にすごい事ですね
100年前の日本の歴史・・詳しく分かりませんが、戦争をした
りしてても、まだ日本人の心に自然と一体化できる感覚みたい
なもの(シンクロですね)が当たり前の事の様にあった時代
だったのかな・・と想像してしまいました。
きっとエコロジーとは、誰しもすっとなじめて感覚的に理解で
きる活動だったんでしょうね。

エコロジーというと、今は言葉が走って、広告の材料になった
り、美辞麗句のような使い方をされてしまってますね
エコロジーってなんだろうと言う事は
もっと、感覚的に自然に身を任せば自ずと分かる事だったのか
とasakaさんの記事で感じました

ヨガやサーフィンはシンクロにはもってこいのイメージ。
がんばって下さいね!
朝から長々とすみません〜

ecologyですか。

夜中に酒飲みながら
ガムラン聞いているだけで
偉大なる存在を感じますが
単に酔っ払ってるだけかもしれません。

どちかかというと、
ボクはビョークなんかと一緒で
テクノロジーの先端であるコンピューターに「命」を感じたり、
摩天楼が、「古代の森」に見えたりします。

そこにはナウシカの腐海のように、
様々な生態系が蠢いているのです。

ホピと一緒に砂漠のど真中で
夜空を眺めている時に
いちばんキレイだったのは
人工衛星でした。

pisaさん
こんにちは 今日は少し涼しいですねー

>100年前の日本の歴史・・詳しく分かりませんが、戦争をした
>りしてても、まだ日本人の心に自然と一体化できる感覚みたい
>なもの(シンクロですね)が当たり前の事の様にあった時代
>だったのかな・・と想像してしまいました。
>きっとエコロジーとは、誰しもすっとなじめて感覚的に理解で
>きる活動だったんでしょうね。

エコロジーという概念がすっと理解できる時代である前に、
自然と一体で生きる、ということがあたりまえの時代だったのではないでしょうか。
ただ、合祀の結果、神社の周りの森が切り倒されたとき
一つの神社とその周辺の人々に与える影響だけでなく
日本、世界、全ての人に与える影響、という広い思考をもてる人はいなかったのでしょう。
熊楠の活動は孤独だったようです。権力に抗うことは、命取りにもなりかねない時代です。
彼が身を呈した抗議運動を行うのを見た人々が徐々に賛同し、
反対運動が大きくなっていったようです。

>エコロジーってなんだろうと言う事は
>もっと、感覚的に自然に身を任せば自ずと分かる事だったのか
>とasakaさんの記事で感じました

自分レベルのエコロジーから始めるしかないけれど
全生態系とつながっているエコロジーに個人レベルも何もないのかもしれませんね
私は、哲学が苦手です(笑) 結局できることをするしかないのかな

たいら★たいらさん

>夜中に酒飲みながらガムラン聞いているだけで
>偉大なる存在を感じますが
>単に酔っ払ってるだけかもしれません。

私はあまりお酒を飲まないのですが(めっきり弱くなりました)
あ、でも、仰る意味はわかります
時々、夜中に散歩をしていたり
明け方にコーヒーとお菓子を片手に土手を歩いていたりすると
クラランときます
空気が震える ゼリーの中にいるときみたいに(いたことはないけれど)
何かがあふれ出そうになります
そういうのって、一種の偉大なる存在の体感かもしれないです

>どちかかというと、
>ボクはビョークなんかと一緒で
>テクノロジーの先端であるコンピューターに「命」を感じたり、
>摩天楼が、「古代の森」に見えたりします。

私の葛藤は、たいらさんと同じようにコンピューターや摩天楼にも
美が見えてしまうところです 
これって私の特質なのですが、汚いものと美しいもの、という分け方や
老いと若さ、豊かさと貧しさ、まずさと美味しさ、という分け方に
ぴんとこないのです
ぴんとこないってことは自分のコアができていないってことなのか
フラットな見方ができるという良い性質なのか・・・ 
変わらず迷っています
何か指針がほしいです 定規になるものというのかな・・・
だから、シュタイナーにいったりしているのかな・・・ 
圧倒的に勉強、読書が足りないことを、今ごろ痛感
いまの意識で大学生に戻りたいものです
何からしたらいいと思う?

>エコロジーという概念がすっと理解できる時代である前に、
>自然と一体で生きる、ということがあたりまえの時代だったのではな>いでしょうか。
>ただ、合祀の結果、神社の周りの森が切り倒されたとき
>一つの神社とその周辺の人々に与える影響だけでなく
>日本、世界、全ての人に与える影響、という広い思考をもてる人はい>なかったのでしょう

なるほど。そうですね自然と一体化してるけど、その自然がなくなった時の事を考え及ばない。
そこにエコロジーの思考を・・大変さがもっと分かりました

こんばんは。
徹夜明けなので文も乱れているとは思いますが、ご容赦を。

>何からしたらいいと思う?

大学ってあくまでも「本の読み方を教えてくれる」程度に思ってます。音楽のジャンル分け競争なんかもそうですが、学問の細分化が進み過ぎて、専門家は多いものの自分の研究している学問を他の人たちに伝える言葉を持たない教授が多いからです。ボク個人の場合は、土曜日の一般教養「文学論」の教鞭をとっていた教授から学んだ「武士道」及び「日本の歴史」が大学時代ではいちばん面白い授業でした。

もっぱら(大学時代からそうですが)ボクの師匠は神田の古本屋であり、今ではアマゾン・ドット・コムです。でも本にかかれた誰かの記憶より、いちばん大切なのはリアルな体験だと思っています。例えば洋書を和訳した時点で訳者の「意思」が介在してしまい情報が変質してしまうように、得てして言葉というものは頭で「理解」しようとする時点で、すでに伝えようとしたモノではなくなってしまっているからです。絵でも、場所でも、恋愛でも実際体験した以上に本から何かを得られるということは不可能なのではないでしょうか。

見て、感じ、考える。生きることがいちばん大事だと思います。だって先週の地元の夏祭り、最高でしたよ。

>これって私の特質なのですが、汚いものと美しいもの、という分け方や
>老いと若さ、豊かさと貧しさ、まずさと美味しさ、という分け方に
>ぴんとこないのです

カソリック的というか、ゾロアスター的というか二元論でもし世の中のこと全てが表現されてしまうのだとしたら、それは全てがゼロとイチで構成されているという、とても味気のない世界になってしまうと思います。いちばん機械的な音楽だと思われているテクノだって、初期のクラフトワークを聞けばアナログというか、マシンのソウルに触れようとしていることがわかると思います。

話はそれましたが、爺ちゃんが和菓子職人、母が日本画家という家庭で育ったのでボクは禅の思想が肌に合います。

「色即是空 空即是色」

美しさの中には常に醜さが宿るものですし、豊かな生活の中にはかならず貧しい一面を持つというのは真理なのではないでしょうか。そういう中で「余白」の考え方を持つということは、日本画の話だけではなく日常においてもとても大切なのだと思っています。柳生の剣が「活人剣」、つまり人を活かすために切ることも然りです。全てにおいて極めれば「修羅」です。剣を愛する者が、盆栽を愛するのは、切りすぎれば枯れるということをシンプルに教えてくれるからでしょう。(オヂさん臭いな、オレ…)

江ノ電の中で老女の中に少女を見つけたり、
逆に公園の少年に人生を教えられることもあります。

>空気が震える ゼリーの中にいるときみたいに(いたことはないけれど)
>何かがあふれ出そうになります

時間の感覚というのは不思議です。「ゾウの時間、アリの時間」ではないですが、時間というのは知覚されて初めて生まれる概念ですから、一般に思われているよりかなりアバウトです。仏教における木魚の単調なリズムと、正座による足の痺れ、繰り返しの念仏は、そのままミニマルテクノに通じます。心拍数に近いBPMと肉体感覚の喪失さえあれば、人間はいとも簡単に時間感覚を麻痺させることができます。ボクは神や仏を信じませんが、空気がゼリーのように粘質を帯びる瞬間は、色々な実験をする大切な時間でもあります。文を書くのも良し、絵を書くのも良し。クリエイティブなアイディアを出すのにいちばん良いので。

>私はあまりお酒を飲まないのですが(めっきり弱くなりました)

嗚呼。多分大学時代のイメージが強すぎるのかもしれませんが、ボクが大酒を飲んでいるのは、大抵失恋しているときか、現実逃避したいときだけです(笑)親友と飲んでいる時はボクだって酔います(かなり弱いです)竹林の友ではないですが、酒はボクの人生において、とても重要な位置を占めるので。仏陀の菩提樹の葉や、キリストの洞窟のマジックマッシュルームよりは健康的だと思ってます(ああ、書いちまった。信じてる人ゴメンナサイ。戯言だと思って読み飛ばして!)

音楽と酒は古代から儀式の大切な要素だということを考えれば、アートにも近い存在だと思ったりするんだけどなぁ。

うーん、全然エコロジーと関係ない…。
ごめりんこ。

絵でも、場所でも、恋愛でも実際体験した以上に本から何かを得られるということは不可能なのではないでしょうか。
見て、感じ、考える。生きることがいちばん大事だと思います。

私も「感じる」ということにとっても大きなエネルギーを
使っています
自分の心につながった状態をすごく意識しています
自分のままに生きるって簡単そうで難しい

お返事ありがとう 
じっくり読み、別のblogに反映させたいです

そういえば、たいらさんのポスターが
オフィスにはってありました B1ですよ…
毎日、笑ってしまいます(笑)
おまけに、デスク横に3枚くらい置かれていました
いる?!


asakaさん、reonaです♪

>私も「感じる」ということにとっても大きなエネルギーを
使っています

私もです。勿論、週末に明治神宮に行って、
自然のエネルギーを感じますが
会社に出勤するときにも、真っ青な空、
オフィスビルの花などでエネルギーをもらえてる様な~。

ただ、理想は、将来、海外or郊外の自然溢れるところですみたいな~。気持ちが晴れ晴れしますー。

大変、貴重なasakaさんのblogだったので、
コメントさせていただきましたー。
また、着ますね♪
ではでは。

理想は、将来、海外or郊外の自然溢れるところですみたいな~。気持ちが晴れ晴れしますー。

そうですね、私も自然のなかで住みたいです
いまは、程よく東京に近いところがいいなぁと思っていますが
自分の家族ができたときは、できれば、森や川や野原のなかで
自分たちの物語をつむげるような生活をおくらせてあげたいなぁと思っていまします ちょっと先の話過ぎますけれど(笑)

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