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August 10, 2004

環境とつながった食(ベジについて)

 小学生5年生まで、私はほぼベジタリアンでした。何でも30年くらい先を行っている父(本当に)が、イギリスでも「何者?」といわれる時代からベジタリアンだったからです。九州の小学校では、鯨とか結構出てきて、お肉料理も普通にあって、食べたくないのにがんばらないといけなかったこととか、こっそりとご飯をトイレに捨てていたことを思い出します。結構涙ぐましい努力していたなぁ(笑) 残すと5時間目もお盆が目の前にあったことが懐かしいです。初めて教職についた熱血女性教師は、ベジタリアンなんてありえない!て思っていたのでしょう。(今でも連絡をとっていますが、お子様をもたれてからすごく変わったように思います。)
 そんなほぼベジキッドだった私が、中学生のときから普通にお肉を食べるようになりました。なぜか覚えていないのですが、いろいろと変わったのは、中学生になってからでした。今もそのままなのですが、このところベジタリアンについて考え直しているところです。
 そもそものきっかけは、昨年のヴィパッサナーです。瞑想中は、殺生をしない。だから、全て菜食なのですが、終わった頃には体が軽くなったような気がしたのです。それから、ヨガ。私にとってのヨガは、運動的な意味合いよりも瞑想的な意味合いが強いので、やはりベジタリアンを意識してしまうのだと思います。
 そんなことをゆるーく考えているときに、Lotus Yogaのblogをいくつか読んでいて、考えさせられることがいくつかありました。まず、お肉を食べることについて
 これは、胸が痛くなりました。そして、気分が(具合が)悪くなりました。こういうビデオは英語のディベートのときにまとめて数本見たことがあるのですが、それからしばらくはお肉を食べられなくなった記憶があります。本当にひどい目にあっているのです、家畜が。そして、そういうことを忘れてスーパーでそれを目にしてしまうことに私は慣れてしまっているのです。改めて考えさせられると、美味しい!と言っていた生ハムのことをどう捉えていいのか、わからなくなります。 ただ、「ベジタリアン~最近思うこと~」を読んで思ったのですが、私は他の人との付き合い方についての不安と同じくらい自分の中に覚悟ができていないのかもしれません。自分の中の覚悟ができていない、と書いたのは「心身に良いベジタリアンだけれど、お肉もお魚も悪くはないはず。環境とつながっていることを意識した上では、自然なことなのではないだろうか」と悩んでいる私がいない、と言ったらウソだからです。mandaraさんが問題にされているのはひたすらに「お肉」になるためだけに存在させられている家畜です。でも、環境の一部として与えられ、返すことを知った上で食物を感謝していただくことは、上記とは少し違うと思います。
忘れることは簡単だけれど、私たちは、本当に全てのこととつながっているのです。ワイルドライフのドキュメンタリーを観たときに感動したことを覚えています。ヌーをとらえる全長6mのワニ、70歳で死んだワニを食し、わきでるウジ虫、ウジ虫を食べる鳥、鳥の落とす種子から生まれる植物、植物を食べるヌー… このサイクルに私たち人間も静かに自然に組み込まれることができるはずで、必要なものならば与えられ、身体が受け入れるのではないでしょうか。父とベジタリアンについて今朝、話をしていました。ちょっとずつ体が必要なものを教えてくれるよ、という言葉通りゆっくりと変わっていくのだと思います。
 今のところ、私が大切にしているのは、「どこでできた何なのか」を少しずつ意識すること。お肉もお魚も野菜もすべて誰がどうやって育て、私たちの前にあるのだろう?と考え選んだとき、多分、そこにあるお肉には、ネガティブな思いではなく、私たちはつながっているという環境への思いを持った人々が育てたものがみつかると思うのです。意識して食を見直していると、必要なものの量、種類の少なさに改めて驚かされます。外食続きの毎日の中では、意識することは難しい。(しかも、高い)でも、少しずつ少しずつ「心と身体の声に耳を傾けていく」という私の意識が大切なのだと思っています。

投稿者 asaka : August 10, 2004 5:29 PM

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