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December 30, 2004
なぜ、日々生活する私たちにアートは必要なんですか?
このブログでも何度も書いているけれど、私はアートがないと自分の心と体がくずれるような経験をした 。そして、幸いにも美術業界での仕事をすることができた。この道が自分には正しいと実感する日々を送ることができている。今の生活のなかで繰り返し問うことは「アートはなぜ必要なのか?」ということだが、これを考えるためには、「アートとは何か?」ということを先に考えなくてはならない。多分、この質問にはひとつの答えはなく、誰にも正確なことは言えないと思うが、私にとっての「現在」のアートとは、創ること=生きること。大きくくくっているけれど、つまり、創ることのない生き方は、私にとっては自分の生存を意識できない生き方なんだと思う。
ところで、前出の「自分の言葉でアートを語る-「アート・リテラシー入門」」の熊倉敬聡氏が「アートはなぜ必要か?」ということについてこのようなことを書かれていた 長いけれど、引用してみたい
「日常」って、見慣れた世界(自宅、近所、学校、会社など)の中で、同じ自分が生活していることですよね。ささやかな楽しみ悲しみがありながらも、自分と世界はある安定した関係を結んでいる。でも、たまに、そうした安定=日常そのものが息苦しいと感じたことはありませんか。安定という名の真綿で首をしめられているような・・・。そうしたとき、ふだん見慣れている世界の物たちの在り方を、自分の手でふと変えてみる。いつも踏みしだいている土を何気なく手でこねてみる。庭にさりげなくたたずむ草花を器に生けてみる。黒のペンで白い紙に字を書く代わりに、いろんな色のペンで字以外のものを描いてみる。決まりきった仕草しかしていない身体を音の波に向かって解き放ってみる。そうすると、土を握りしめる充実感、生けた草花の凛とした様子、紙の上で踊る色とりどりの線描、解き放たれた身体の悦びによって、安定していた世界と自分の関係=日常に、突如として裂け目が生じ、ある生き生きとした世界が開けてくる。日常生活のわだかまりによりそれまで隠れていた生の波動が押し寄せ、すべてを満たし、打ち震わせる。エクスタシーとしてのアート。日常の安定=わだかまり(stasy)が口を開け、そこから外に脱し(ec-)、生の奔流にむせび、歓喜する」
熊倉氏ののべるようにアートだけがエクスタシーをもたらすわけではない。でも、刹那的なものが多い中、優れたアートの作品は、「人類に内蔵されたある生の深みに達する術=技(art)を備えているがゆえに、人類の歴史の中で多くの人々に同様のエクスタシーを追体験させることができる」。 素晴らしいアートは、創造主以外にもエクスタシーをもたらすけれど、アートは必ずしも素晴らしいものだけが素晴らしい訳ではないのではないか。アートの要素である創造するという行為自体に意味があるような気がする。創るということ(今の私にとってのアート)が人にどのようなことをもたらすのか、ということを自分の経験を通じて考えて行けたらいいな、ということが2005年に向けて思っていることだ。
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投稿者 asaka : December 30, 2004 11:33 PM
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