July 2005 Archives

家族の記憶-ブルース・オズボーン撮影の親子

oyako1.jpg5月第2日曜日は、母の日。
6月第3日曜日は、父の日。
では、7月第4日曜日は?
そう、親子の日

23年間、親子の写真を撮り続けている写真家ブルース・オズボーン氏が提案していて、今年はスーパーフォトセッションとして一般公募した親子の写真撮影が行われた。家族みんなが違うところに住んでいるけれど、今年の夏は集まるということで、我が家も写真を撮ってもらった。家族4人がそろった写真は、数えるほどしかないから、とってもいい記念になると思ったのだ。

30人くらい関係者がいるスタジオでの撮影は、約15分。本当にどきどき、体が自由に動かない。でも、できあがった写真は、あの時の緊張よりも、みんなの楽しかった思いが含まれていて驚く。
カラー写真は、ブルースが一緒に入った1枚。こんなポーズもおもしろいんじゃない?なんて本人が参加したのだ。ブルースが撮る写真は、白黒で、秋頃に手元に送られてくる。きっと素敵な1枚になっているはず。今から楽しみ!

親子の日とは?
親子の日 写真コンテスト2005(2005.7.31締め切り)

余韻でつくりもののエネルギーがアップなこの頃

月曜日のコンサートの余韻が、クリエイティブな力になっているという不思議な体験をしつつ、諸事に追われないように戦っている今日このころ。あのわくわく感が継続しているのがおもしろい。それから、CDを聞いたときに演奏光景みたいなのがあたまの片隅にサムネイル的に表示できるようになってきたことがおもしろい。
そういえば、坂本さんのコンサートブログがあること発見。

昨日は、NPOの仕事とは別に手伝っているプロジェクトのmtg。ウェブデザインなどを手がける会社の社長、大手広告代理店のクールビジネスマン、職場の代表や先輩と一緒に新しいモデルのNPOの立ち上げ準備中なのだ。まったく違うフィールドにいる専門家集団だが、みんな共通しているのは、創るのがすき!ということ。そして、完全なボランティアなんだけど、本当にやりたいこと(力になりたいこと)があって自分たちのスキルを使いたいという想いが気持ちいい。あっという間に時間がたち、その間に、くだらないことから真剣なことを話しつついいものが生まれてくる。ちょっと、どうでも良いことから生まれるものって意外といいんだなぁ。打ち合わせの後の食事では、ダヴィンチコードは、推理小説としてはかなりいけてない、とか、LifeHack(このエントリー書かなきゃ!)て効率化の話じゃないよね、とか、最近ドラゴンボール読破しました、とか、次の日蝕はいつだ、とかで大盛り上がり。次の日蝕は、2006年、トルコやチュニジア方面。私はいくぞー。休みをとっても良いとお達しがでた!ちなみに、2009年は、日本でみられることご存じでしたか?More at 日蝕の予報

空間が生まれたので、自分のプロジェクトも考えるすきまができたみたい。料理本計画を自分のなかで広げつつ、食育的に(ちょっとはやりすぎ?)からめるのか、途上国のフェアトレードでからめるのか、日本文化でからめるのか…どんなプロジェクトになるのだろう…など考えている。食のこんなプロジェクトがあったらいいというアイディアありません?

そういえば、やや遅れて、かわいいMacをタイガーにアップデート。 ワクワクする。お天気がいいから、気分いいだけかなぁ〜(^^;  +@ info

積み重なり、伸び縮みし、浸透する音が生まれる瞬間

コンサートの後に、ハイテンションのまま書いたエントリーは長く、
ちょっと飛んでいますが、けっこう素直な感想だなーと思います。
下に行くにつれ、ちょっとクールダウン :-)
お時間あるときに読んでみてください

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身体に音が生々しく生きていて、その生命力に驚く。4、5時間前に経験した、音が生まれる瞬間が身体にリフレインしている。音が紡がれ、空間が生まれて広がり伸び縮み、浸透する瞬間に身を置いていたのだ。
今日の経験を言葉にするのは、本当に難しい。時系列で曲それぞれを説明しようかと思ったけれど、そういう細切れではなく、全体として生まれるものがあるからちょっと違うし、どうやって書けば良いのだろう。

バンドとしては10年ぶりになる坂本龍一さんのライブがZEPP東京で行われ、行ってきたのだ。クラッシック音楽で育てられ、13歳までそれ以外の音楽をほとんど聴いていない私が、ラフマニノフと同じ、いや、それ以上に聴いているのが坂本さんの音楽。リアルにも、空想にも絵が描けるから好きなのだ。彼の音楽によって、空間が自分の中にできると感じるし、同時に、自分のなかにストックされるものがある。

…静かな暗い空間から音がひとつ出て、ふたつでて、その後はあふれるような音。小山田圭吾さん、クリスチャン・フェネスさん(コンピュータープログラミング、ギター)、スティーブ・ジャンセンさん(パーカッション、Cプログラミング)、スクーリ・スヴェリソンさん(ベース)と坂本さんの5人がステージ上にいるのだけれど、ワーと音が積み上げられるのに、威圧感がないというか、すごく深い海水みたいに肌に浸透してくる音たち。

12、3曲ほど演奏されただろうか。知らないものもいくつかあったけれど、どれもとっても良かった。(感動すると本当に語彙力がなくなる)オリジナルがわからないと、何の曲だろうと考えるくらいアレンジされたものもある。例えば戦場のメリークリスマスもとても雰囲気が違う。メロウな姿も好きだけれど、今日のは、かなりかっこいい。ああいう風に音は、姿を変えて目の前に現れることがあるのか。そして、だれも声に出してはいないと思うけれど、みんなが心の中で歌っているのが伝わってきたのが不思議。音に厚みや深みが出てくるのは、演奏者の気持ちの良さだけじゃなくて空中の見えない声が繊細な織物のようになっていたからじゃないかな。

それから、もうひとつ印象的なのは、アルバムCHASMのCoroが。徐々に積み上げられてくる音、平たく、薄く、尖って、縦に重なって塔のようになっていく音。緊張感を強いられるのではないけれど、重なっていく音に心臓が引きずられる。多分、何十秒に何回か心臓はジャンプしているか、気がつくとちょっと息を止めていたと思う。音たちが、何か見えないものと一緒に積み重なって空間が生まれる。何かが生まれるときの強いエネルギーに身をおいているということを肌で感じる空間がそこにはできていた。

食とアートと心と体と文化と…夕日色の野菜をみながら思ったこと

私はいま、地球のことを考える機会をつくったり、環境や未来を担うこどもたちのことを考える仕事をしているわけだけれど、この仕事にかかわりたいと思うようになったきっかけのひとつとなった言葉が、サステナビリティ=持続可能性。この言葉は、スピリチュアルな生活について、心と体が調和のとれた平和な生き方について母から教えてもらったときに耳にしたもの。こういう生活をもっと浸透させたいなと思っていたら、本当にサステナブルな生活は、環境に優しいことに気がついてこの仕事に興味を持ったわけだ。

もう一つのきっかけ、それは、「食」。野菜のこと、それを育てている農家さんのこと、輸入している食べ物のこと、そのために変わっている生産国の文化のことなどへの興味がわいてきて、ベースはサステナビリティだけど、食も大きなきっかけだったといえる。

食ってなんだろうとこの頃考えている。食は、私にとっては、どう生きるかを考えるひとつのツールみたいなものかもしれない。

食と人の心と体、食と環境、食と伝統、文化、そして食とアート。Living with Artというブログ名が示すとおり、アートは私のライフには欠かせない。アートの定義は無数にあり難しいけれど、私は創造することと大きくとらえたい。そして、私にとって食はアートと通じる部分がある。

まとまりのない文章だけれど、食への執着というか、食と自分の距離のユニークさを感じる今日このころ。上述の、食と人の心と体、食と環境、食と文化、食とアート。こういうテーマを将来的に深めていきたいなーと思っている。いまやっていること、いままでやってきたことが、一見ばらばらに見えていたけれどちゃんとつながっていることがわかっておもしろい。どんな仕事になるのかわからないけれど、フードマインドライフコンサルタント?おもしろそう。ひとまず、いまのポジションで修行しつつ、クッキングコースも探して、そろそろスタートするぞ~。

関連エントリー:鎌倉の農協連即売所の新鮮野菜&ヴェジーなディナー

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鎌倉でかった野菜を部屋に置いていたら、夕日があたってすごくきれいだったので思わずパチリ。

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少しずつ日が沈んで、赤キャベツの色も変わってくる。
自然の織り成す美が、このひとつの野菜からも見える。

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鎌倉の農協連即売所の新鮮野菜&ヴェジーなディナー

鎌倉に農協連卸売の市場があるのをご存知ですか?フレッシュな野菜が、たくさん並んでいて、生産者のおじさまや、威勢のいいおばさまたちとのやり取りも楽しい場所となっています。珍しい野菜もあって、料理の仕方を教わりながら、いつもどおりたくさーんの野菜を購入。鮮度と味の濃さに驚き。ちょっとアフリカンスタンダードの野菜です。

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地元の方が出たり、入ったり。この中には、おともだちのじゅんぺいさんのパン屋さんがあって、ここが絶品!!!彼がくるかなーと思ったけれど、残念ながらこの日は会えなかった。また今度。

ピンクと月光の波にのり、洗濯機を動かした

どんな時間も好きなんだけど、カフェでプログラミングをする彼と仕事の整理をしつつ、ファンタジーを読みながらコーヒーを飲む午後は、すごく平和で好きだ。何てことはないことかもしれないけれど、スーパーで野菜やフルーツを吟味したり、空想料理に笑ったり、パン屋さんで真剣に悩んだり。平和な週末。
さらに楽しさを加えたのが、海での時間。

私たちが失った人にも名前があった
ーイラクの少女からの手紙

ロンドンのテロの後、“イラクの少女がイギリス国民に当てた手紙”というものを目にした。Living with Artのエントリーでは、あまり伝わらなかったかもしれないし、難しい問題だとは思うけれど、私はどうしてもテロリストを批判できない。だって、アメリカに加担して、日米がイラクで行っていることを考えると、あのような形の意思表示があって"当然"(良い悪いと言っていない)ではないか?それが"野蛮"なら、イラクで行われていることは何なのか?何万人もの人が、すでに亡くなっている。いや、もっときちんと口にしよう。何万人もの人が、すでに殺されているのだ。イラクの少女が、イギリス国民にこう問いている。

 私たちの国は誰の名で12年間も経済封鎖を受けたのですか? 私たちの住む都市は誰の名で国際的に禁止された兵器によって爆撃されたのですか? 皆さんの名のもとにでしたか?それとも、宗教の名前でしたか? それとも人類? 自由? 民主主義?
 皆さんは200万人以上の子どもへの殺人行為を何と形容しますか? 劣化ウランその他の有毒物質による土壌と水の汚染を何と表現しますか?
 アブグレイブ収容所とブッカその他の捕虜収容所など、イラクの拘束施設で起こったことを、皆さんは何と表現しますか? 男と女、子どもへの拷問を何と表現しますか? 拘束された者の体に爆弾をくくりつけ、彼らを粉々に吹き飛ばすことを何と表現しますか? 手足を引きぬいたり、目をえぐったり、皮膚にタバコの火を押しつけ、髪の毛にライターで火をつけたりというような、イラク人収容者に対する拷問手法を考案することを何と表現しますか? イラクを占領する皆さんの国の軍隊の行動を言いあらわすのは、「野蛮」という言葉で十分でしょうか?

目をそらさないで、全文を読んで欲しい。
テロでけがをし、家族を失い、悲嘆にくれる人々の映像。繰り返し再現される傷跡のシーン。確かに恐ろしいことではあるけれど、でも、この人たちは、1/10世紀に渡って、このような日々を送らされている。この少女が、こう続ける。

甘い午後〜アプリコット+バナナタルトを親友の家で〜

もう、1月も前のこと。クールでキュートな親友のお家に遊びに行った午後のこと。つきあいは長く、何度もご招待いただいていたのにやっと実現したこの訪問、とっても楽しかった。彼女の明るさは、笑顔の素敵なおばさまゆずりだと判明。ケーキ作りの名人のおばさまに、作り方を教えていただいた。ゆっこのボーイフレンドもやってきて(彼も大学の友達)ほんわかとした、おだやかなひとときだった。また行きたいな。
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ケーキはもちろん、お食事も美味〜。夏の香りをいち早く届けてくれる食卓。やっぱりワイワイと囲む食事の場て心がうるおう。

兄と姉と暖かい時間のこと

yukosohei.jpgちょっと前のこと、ホームシックになってしまったときのこと。自分の家に住んでいるし、ちゃんと毎日げんきに過ごしていたけれど、家族と離れていることの寂しさを家族の使っていたお箸やティーカップ、本棚の書籍やスリッパなんかが静かに投げかけてきて、ちょっとずつたまってきていたのだと思う。家族に会いたい。前みたいに、ご飯を食べて、お茶を飲みながらとりとめもなくおしゃべりしたい。そんな気持ちのときに、実の兄と姉のように慕っているいとこの家に泊まりにいった。お姉さんは、わかっていたみたい。心がとても暖かくなった。由お姉ちゃん、壮お兄ちゃんありがとう。あ、シンバもありがと。

ロンドンのテロと慈悲の瞑想"Metta Meditation"

スペインでテロが起きたときに、Orkut(SNS)の顔写真をこの黒リボンに変えた人が多数いました。あのOrkut時代には、海外とのリンクがたくさんあって、リアルタイムに痛みが響いたことをまだ忘れていません。

そして、今回のロンドンでの同時多発テロ…。私の母国のこと、気にかけて恋人が連絡してくれ、初めて知りました。何といって良いかわかりません。もう、胸がはりさけそうです。怒りがふつふつとわいてくるけれど、それがどこに向いていいのかまだわからない。テロの実行者に限定した怒りというよりも、もっと、自己中心的な、身勝手な存在・力に向きます。どうして、争うのだろう。どうして、こんなことを繰り返し続けるのだろう。もう、十分に、人間はお互いを苦しめあってきているではないか。私は、普段はあまりカッカッしません。でも、このわずかな時間に静かに怒りが蓄積されつつあり、その圧がパーンといきそうです。かなしい。なさけない。でも、怒ることは自分だけでなく、他の存在にも悪影響となる。こういう時は、お祈りをするしかないのでしょうか。

今日は、七夕の短冊に、「平和で、愛と優しさにあふれる世界」をお願いしたばかりなのに…。くやしくて、泣きたいです。でも、私は、美しく愛のあふれる真の人間性をあきらめたくありません。ヴィパッサナーの慈悲の瞑想を記します。ヴィパッサナーでは、座禅のあとに、ゆっくりととなえることで慈悲、慈愛の想いを全ての存在におくります。一人でも多くの人が、メッタを心に持てますように。

関連エントリー:
私たちが失った人にも名前があった ーイラクの少女からの手紙

Metta Meditation - 慈悲の瞑想

1. 私が幸せでありますように
  私の悩み苦しみがなくなりますように
  私の願うことがかなえられますように 
  私に悟りの光があらわれますように

2. 私の親しい人々が幸せでありますように
  私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
  私の親しい人々の願うことがかなえられますように 
  私の親しい人々に悟りの光があらわれますように

3. 生きとし生けるものが幸せでありますように
  生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
  生きとし生けるものの願うことがかなえられますように 
  生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように

4. 私がきらいな人々も幸せでありますように
  私がきらいな人々の悩み苦しみがなくなりますように
  私がきらいな人々も願うことがかなえられますように 
  私がきらいな人々にも悟りの光があらわれますように

5. 私をきらっている人々も幸せでありますように
  私をきらっている人々の悩み苦しみがなくなりますように
  私をきらっている人々も願うことがかなえられますように 
  私をきらっている人々にも悟りの光があらわれますように

6. すべての衆生が幸せでありますように
  すべての衆生が幸せでありますように
  すべての衆生が幸せでありますように

みんなで綴る未来への願い-言の葉さらさら&Be Good Cafeイベント

今日は、七夕ですね。みなさま、短冊にお願い事を書きましたか?小学生のときは、たっぷり時間をとって七夕をお祝いしていたのに、大人になると変わらない日常のようになってしまいがち。でも、こういう季節毎の行事を大切にすると、生活のなかにメリハリができるし、季節を意識できますよね。人とのつながりも改めて確認する機会にもなる。昔は、もっと単調な生活を送るなかで、お祭りとかお祝い事をみんなで楽しみにすることで前へすすむ原動力にしていたのかもしれませんね。

短冊を書いて飾る笹がなくても大丈夫!「言の葉さらさら」は、小さな願いから大きな願いまで、20年後の暮らしや社会がどうあってほしいかをイメージして短冊に託して願うイベント。7月7日から旧暦七夕の8月7日まで、未来に向けた願い事の短冊を募集していますよ!私は500番目くらいだったのですが、わずか数時間で1000人を超していました。みんな身近な、暖かみのあるメッセージですよ。みなさまの夢がかないますように☆

言の葉さらさら
2025年 未来の記憶(Be Good Cafe/代官山 ボールルーム)
2025年の社会・地球・自然環境について、ハッピーな未来の形を考える会。みんなで短冊の記入もあり!

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このお写真は、愛・地球博 市民パビリオンの短冊。「おはなやさんになりたい」は、小学生のときの私の将来の夢(のひとつ)でした。みなさまの夢は何でしたか?

刻一刻と変わる地球 - アースドリーミングシアター

地球市民村の入り口ほど近くにある"アースドリーミングシアター"。床やすべすべの木のソファーに寝転んで見上げると、そこは大型天空シアター。「地球の夢」をテーマに、地球が誕生したときから46億年に渉営みを、シンボリックなイメージ映像で紹介します。ときどきに、現在の人口のカウンターが表示され、刻一刻と変わる現在を感じることができます。ゆっくりまどろむ人々は、一様にピースフルな顔をしています。気がつくと、けっこうな時間がすぎていてびっくりしますよ。

私にできることは何だろう?Global Village - 地球市民村

環境、国際協力、持続可能性関連のNPOやNGOが出展している地球市民村。毎月5ユニット、6ヶ月で全30ユニットの約100団体が展示やワークショップを通じて、個人に「何ができるだろう?」を問う場となることを目指しています。HPは、キーワード集今日のわたしにできることは、なんだろうなど見ていてなかなかためになるサイトですよ。地球市民村blogというものもあります。あ、知っている人がけっこういる?!

言葉、ディアスポラの始まり - 金善瓔 "a book reader"

いくつかの言語を自然と使いながら育つと、その言葉でしか表せないニュアンスがあることがわかる。日本語だから表せる間、英語だから伝わるシャープネス、フランス語だから含む微妙さ。ひとつの言語から別の言語に置き換えようとするとき、そこには、確実に取りこぼされる何かがある。意味、それが落ちて行く…。詩人の父から、言葉のおもしろさ、うそ、含み、限定、勝手さ、広がりを感じる言語感覚を遺伝したと思うし、言葉そのものにずっと興味を持ってきたけれど、このところコミュニケーションの難しさばかり感じている。でも、言葉のもつ"不思議"につつまれて育ったので、嫌な気持ちになるというよりは、難しさのなかの広がりにひきつけられる。言葉てなんだろう?そんなことを考えているときに、ハッとする展覧会を見つけたので、ご紹介。どういう風に、彼女は、この"違和感"を表しているのだろう?

art & river bankで展覧会を開催中のキム・ソンヨン(金善瓔)は、ビデオや写真、テキストを用いたインスタレーション"a book reader" で、韓国語、日本語、英語、フランス語という複数の言語体験を通して彼女が感じた奇妙な違和感を表している。
展覧会紹介に、面白いことが書いてある。「もちろん、失われるのは意味だけでなく、アイデンティティといったものまでが流れ去ってしまいます。歴史や土地に関係なく、言葉を介してコミュニケーションする時点で、すでに始まっているディアスポラ(離散)。言ってみれば、私たちはすでに、あらかじめ追放されているのかもしれません。」

同じものを見て、感動を共有しているように見える場面でも、言葉で共有しているときには、本質的に共有されるものはどこまでも小さい。微妙な違いを含みながらもそれを見ずに"共有した感"をお互いに持っているけれど、実は、言語でのコミュニケーションはすでに離散の始まり。"共有した感"を疑わない、みんな同じ感覚だと言葉を過信することが多い今、奇妙な違和感を意識すること、言語コミュニケーションの絶対を疑うことがもっと欲しい。私は、言葉だけに頼りたくないし、私の言葉だけで、わかるとは思われたくない。と同時に、言葉でスキマ感、違和感の片鱗を伝えられるような文章を書けるようになりたいけれど。キムの作品は、頼りないコミュニケーションのなかで自分自身を感じること、危険性と可能性を微妙に伝えるものかもしれない。

展覧会:a book reader
    kim Seonyoung
会期:2005.6.25 - 7.9
場所:art & river bank �

雨の愛知到着

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4時まで映画を見て、ねむぅーいのまま、やってきたのは愛知。そう、愛・地球博、市民パビリオンに出展するためにやってきたのです!とりあえず、写真を2枚アップします。人が全然いないバス停と、人がけっこういる「地球の授業」の風景です。展示写真は、午後に撮ってからアップします。愛知は、わくわくモードが漂っています!では、また後で!ひとまず長久手会場に行ってきます。(スタッフ控え室は、無線LAN完備。仕事ができますネ(苦笑))

なつきちゃんケーキでおおはしゃぎ

今日は、なつきちゃんのお誕生日。スタッフのなかで最年少ながら、しっかり者な彼女にわたしは日々助けられています。仕事のことから、そうでないことから、もろもろ。いなくては、こまる存在なのです。哲学者ななつきんぐ(と勝手に呼んでいる)と話していると、ちょっといい加減にとらえていた問題などの本質を考えさせられる。いつも良い視点をありがとう。素敵なバースデーウィークエンドを過ごしてね。

超おいしい&うつくしいケーキが登場して、スタッフで“おぉー”!これはケーキなのか?!というおいしさのチョコレートとシャンパンのケーキ。みんながお互いのバースデーをお祝いする素敵な職場なのです。
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