東京タワーを読んで

東京タワーを読んだ。この本は読む機会がなさそう、なんて根拠のないことを思っていたのに、ひょんなことから同じオフィスの方が貸してくださったのだ。
週末に時間がいっぱいあったので読みはじめた。あっという間に読み終わった。そして、きっと泣くよと注意されていたものの、やはり、涙が止めどなく出て、それはいつの間にか嗚咽になり、とても苦しかったけれど、最後には深い愛情と感謝の気持ちをうむものに変わっていた。当分の間、私は自分の両親のことを思い出させるものたちと、ウルウルならずに、のどの奥がギュッとならずに接することができないだろう。

この本、女性より男性のほうが「わかる」のだそうだ。何でだろう?ぜひ聞いてみたい。私は身近に感じたのだけれど、もしかしたら方言のせいかもしれない。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の中で、オカンとボク、オトンや友達の会話は九州弁で、それは、私が幼稚園から小学校4年生まで住んでいた北九州の小倉付近の言葉と同じものなのだ。だから、会話が母の声にも、隣の家でいつも遊びに行っていた安藤のおばちゃんの声にも聞こえたし、パンが上手でいつもかわいがってくれた新谷のおばちゃんにも、ちょっと丸くて元気な堀のおばちゃんの声にも聞こえて、小説なのか現実なのかわけがわからなくなってしまったのかもしれない。

泣きながら何で泣いているのだろうと考えてみると、そこには、父と母のことを思って、早く何かをしなくてはという気持ち、そして、今までなにもしてあげられていないという後悔とあらゆる種類の感謝が流れている。と聞くとどんなに悲しい話かと思うかもしれないけれど、そういう話じゃないんだなぁ〜。リリー・フランキーの絶妙な文体で笑いながら、日常のささやかな幸せと母の深い愛を感じる。そして、いつの間にか自分の母や父のことを考えている自分がそこにはいる。ちょっと苦しい。でも、何か、悪くない。両親のことを思って、弟も号泣するに違いない!今度帰ってきたら貸してあげよっと(笑)

思えば、弟と私の母も、ボクのオカンみたいに自分のことより、まず家族のことを先に考える人だった。(正確には現在進行形だけれど)母とはそういうものなのだろうか?私にはできるだろうか?ちょっと自分への自信がなくなるくらいオカンも母もそうなのだ。私が家を出てからもそれは変わることなく、遠く離れている今でも元気にしているかを気にかけ、何故わかるのか不思議でならないけれど、落ち込んでいるときには手紙や電話がくる。自分のものはほとんど必要としないのに、私のためのお土産を山ほどもって遊びにくる。母は、本当にいつも家族や人のことを先に考える人で、そんな母に私はさんざん甘えてきた。感謝の気持ちは持ちながらも、当然のことのように甘えてきたように思う。でも、この頃、何かしてあげられないものだろうかと思うことが増えてきた。違う国に住むという選択をしていることがが少なからず親不孝だと思っているからだろうか。親の恩は海より深し、死んでからでは遅いのよと何の変哲もない平日の昼間に言われたことが忘れられない。毎回が最後かもしれないと思いながら会っているのだからきちんと挨拶をしてから帰りなさい、と中学生の時に叱られた祖母の言葉も忘れたことはない。何ができるかわからないけれど、ちょっと電話をかけてみようと思う。ママ、元気?今日ね、おばあちゃんと銀座でタイカレー食べてね、昨日は、Linaちゃんと着物を色々見たよ。ママは何してた?

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~リリー・フランキー

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