ひとつの線で変わることがある

ドローイングが重視されている学校にいることが有り難い。ファッションをやっている友だちも、今日はドローイングとペインティングだったと言っていた。描けなくてもいいアーティストになることはできると思うけれど、個人的には、描けるようになることは、ひとつの言語を得るのと同じように、世界がグンと広がることだと感じている。毎日、ちょっとずつ自由が増えている。

いま、顔をたくさん描いている。家族の顔を、自分の顔を毎日描いている。絵が、めきめきと…うまくというより、深くなっている。思い通りにいかなくて、6割くらい腹がたつけれど、ものすごくおもしろい。

今日、ジェイクとプロジェクトについて話す時間があった。すごーくクリティカルな(批評、批判がすごい)先生なので、ジェイクと仕事をするのは緊張する。「あさかは、もっとコントラストをいれて」と言われたが、細い線や余白が好きな私には、けっこうきつい。でも「もっと、もっと」と言われるから、えいやっと入れてみたら、その1本の線の効果に圧倒されてしまった。素直に聞いてよかった。怖がらないで描いてみたら、一歩踏み込んだ気がする。いや、不可抗力というか、コミットメントしてしまった感じが、自分の一部を捧げてしまった感じがする。

そこから、もう1枚描いた。1メートルくらいの紙を縦に置いて、見下ろす自分の顔。力を込めて、好きな余白はいかしつつ、細かさにはこだりすぎず。気がつくと息を止めて描いてしまっている。

ふーっと力をぬいて、後ろから見ていたら、いつの間にか現れたクリスチャンとジェイクから "I like it very much, very much. It has something really authentic."という思いがけない言葉をもらった。Authenticは、本物の、とか正真正銘とか、れっきとした、というような言葉だから、今まで絵を描いていて、一番嬉しかった言葉かもしれない。もちろん、私は自分のために描いているのだけど、自分がにじみ出るものが作れたり、共感も違和感も好感も嫌悪感も含めて何かしらの反応が相手に生まれたら、感動する。

この絵は、決してかわいくない。鼻の穴はしっかり見えるし、目はつりあがっているし、あごはしっかり描かれている。先生からは "you frighten me"と言われる始末。でも、ダークな部分や、やや邪悪な自分がにじみ出ている1枚が、一番反応を引き起こすことに、大きなヒントがある。あぁ、とうとう出てしまった…出してしまった。

描くことで自由を得る。不自由も知る。だから、また明日も描く。明日と言わず今晩も描く。まっすぐな道から、舗装されていない暗い道に入ってしまった感は否めないけれど、今日の1本、1枚が私を変えたと思う。あー、怖い。でも、よかった。

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