ちょっと変な道に入った感(制作について)

今週、各自のプロジェクト("The Body"か"Rituals & Process")の第一フェーズが終了する。金曜日にはグループクリティークが行われるので、その前に先生と途中経過を話し合う時間があった。

"制作のエッセンスを表れていると思う作品"を数点張るように言われ、はじめてのきちんとしたcritique(批評、評論)が始まった。今までは、作品を全部見てくれていたのに、今回は選ばなくてはいけなくて、選択はとても大切なことだと写真を発表するときに感じていたけれど、今の制作でも同じくらい大切なこと。選ぶことに苦労したことが、すでにひとつの投げかけを持っているのだろう。

大きな壁に張られた作品をクリスチャンが、読んでいく。目の前に見えることからはじまり、見えないけれど考えられること、感じられることをどんどんと話していく。自分の興味がわいている部分、違和感があるところ、なぜ嫌いなのか、好きなのか、制作のスキル的な話も入ってくるけれど、うまい下手ではなくて「なぜ」そこに何かがあるのか(ないのか)を見ている…その作品が対話をもたらしているのかどうかが一目瞭然だから、きつい。

それから、作者(私)との対話が始まる。クリスチャンが投げかける質問が、次の制作での広がり、深まりの鍵となる。なんでその素材なの?どうしてこの色なの?モチーフはなぜその角度なの?空間の意味は?塗りつぶさないのはなぜ?塗ったら君はどう感じるの?などなど。別にいい悪いではないし、すぐに答えられなくてもそれがすでに答えだったりする。どこまで自覚的なのかが見えてくる。自覚的な部分もあれば、無意識の部分もあって、むしろその無意識をすくいだす感じかもしれない。

創るのはすごく好き。本当に楽しい。でも、本当にえぐい。自分が漏れ出てしまう。自分が裸になる感じがする。いや、裸に"なる"というより"される"の方が近いから、怖いような気もする。私はクリスチャンをはじめ周りにいる10人くらいを信頼しているし、究極的に他の人は関係ないと思っているけれど、まだ少し怖いような気もする。私、本当に変だったらどうしょう?とか、あぁ、なんて可愛げがないんだろう、とか。はは、もう手遅れなのかも。

クリスチャンはすばらしい先生で、それぞれの生徒が自分では思いもしなかったことを聞かされたみたい。否定はしていないのに、現状維持ができなくなってしまう。もっと、広く、深く、実験的に、丁寧に、よく考え、凝り固まらずに、技術を磨き、手をしっかり使い、頭もしっかり…とにかくシャープに、シャープに。

一緒に通学しているエレナも車の中でしーんとしてしまっていた。私もクリスチャンに渡された本やアーティストを見ていて「そこまで求められているのか…」とまたまたびびってしまった。でも、こういうチャレンジに全面からぶつかっていくと、すごーく自分が広がるのだろう。入ってみましょ、その道。奇をてらうのではなく、素でちょっと変な道に入った感じがあるのだから、困りました。友人たちよ、これからも仲良くしてください。

もうすぐクリスマス休暇。クリティークを受けて作品作りが続く。そして、論文の計画みたいに、次のプロジェクトブリーフを書く宿題も。今のプロジェクトで発見したことをひとつのきっかけとして、次に行うことを書くらしい。ふぅー、full on なクリスマスになりそうです。

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クリスマスキャクタスの花、満開です。

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