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2003年09月10日

「座頭市」たけしの芸人魂炸裂

待望の北野武監督の新作「座頭市」が公開されたので早速、映画館へ。始まってものの数分、ビートたけし扮する座頭市に野党が切りかかるシーン。野党の一人がビビリながら刀を抜くと、抜きざまに隣の仲間の腕を切ってしまう。場内におこる笑い。これはとんでもない映画だぞ、と思いつつ、あっという間に映像に引き込まれて気がついたらエンドロールが。動けませんでした。館内の明かりがついて、ようやく席を立てるぐらい。席に釘付けどころか、両足の甲を刀で貫かれながら、これでもか、これでもかというぐらい映像の居合い抜きを浴びせられた2時間でした。
インタビューのなかでプロデューサーの森昌行さんが”バラエティー・ショー・ムービー”と表現し、北野監督いわく

今回は、エンターテインメントと言った通り、映画の中で出てくる役者さんたちがどんな芸を見せるか。タカがやっているお笑いの部分でも、実にベタなネタだから、そこで他の役者をキャスティングしても、それは逆にできない。簡単に見えますけど、やっぱりコントとかお笑いをやった経験の無い人にはできない。だから立ち回りもみんな、各シーンは、全員が芸をやったという風に見てもらえると、「ああ、いい芸風だな」と見てもらえると思います(北野武 『座頭市』記者会見(8/19)より)

相対する侍の持つ日本刀の柄をブッタ切る居合い抜きに心酔し、過去を背負いながら踊る花魁の華に涙して、ガダルカナル・タカのベタなコントに笑う。そういった大きな芸に加えて、農作業のリズムにタップダンスでシンクロするBGMみたいな脇を固める芸の完成度の高さと、発想の自由さが半端でない。とくに殺陣の効果音、抜刀音は、格闘シーンという意味では、香港のワイヤーアクションを音だけで上回るぐらい、最高の表現なんじゃないか、と勝手に思ってみたりして。
ストーリーについては色々と言う人もいるんだと思いますが、実は完全に確信犯だと思われます。ちょっと前だけど1997年のインタビューで、「HANA-BI」の後にどんな映画を撮りますか?という問いに、こんな答え。

いま計画しているのは、緊張感に満ちた物語と、「みんな~やってるか!」のようなコメディーの組み合わせなんだ。まずは最初の一時間は「ソナチネ」や「HANA-BI」のような領域の作品なんだ。それが終わってクレジットロールが流れる。そうするとまた最初とまったく同じ始まり方で映画が始まるんだけど、今度は次第に最初のバージョンのパロディーになっていくんだ。そんな映画を今考えているんだ。(北野武「サイト・アンド・サウンド」1997年12月号 トニー・レインズ インタビュー)

前半の、美しさと悲しさで織り上げる日本的、情と死の風景と、浅野忠信との立会いから一気に加速するパロディとカタルシスの混ざり合う濁流こそが、ついに姿を現し始めた北野・ビート・たけしの本流なのではないか。
コメディアン、ビート・たけしと、歎美的な死を追求する映画監督、北野武の分裂については、それこそ山のように書かれてきたし、それは一つの事実でもあったのだと思う。けれども、そういった世間の感傷、干渉みたいなものを見事にブッタ切った、しかも結果として、半ば確信犯的に土俵際に追い詰められた上でのうっちゃりのように見えたりもする。ビート・たけしでも北野武でも、どっちだっていい。観終わった後の圧倒的な爽快感、北野・ビート・たけしの芸人魂につくづく感服しつつ、はやくも次回作が観たいぞ!そして祝 第60回ベネチア国際映画祭「監督賞」受賞!

参考
座頭市オフィシャルサイト
黒沢明、宮崎駿、北野武―日本の三人の演出家
孤独
武がたけしを殺す理由

北野作品
Dolls [ドールズ](2002)BROTHER(2001)菊次郎の夏(1999)HANA-BI(1998)キッズ・リターン(1996)みんな~やってるか!(1995) ソナチネ(1993)あの夏、いちばん静かな海。(1991) 3-4×10月(1990)その男、凶暴につき(1988)

Posted by jkanekomt at 2003年09月10日 04:03 | trackBack



Comments

「座頭市」、僕も見ました。しびれました。

最近、アクション映画について語るとき、「マトリックス」がいろいろな意味で1つのメルクマールになっていると思います。マトリックスで東洋趣味(特にカンフーとワイヤーアクション)が広く人気を集めて以来、雨後のたけのこのように同じようなアクションを多用した映画が作られましたが、多くは駄作でした。今回、もし北野映画にまでワイヤーアクションが使われていたりしたらどうしようと内心戦々恐々でしたが、座頭市は見事にその予想を裏切ってくれました。

これでもかというくらいの動き、技、銃弾を激しい音楽に乗せて繰り出すことでオーディエンスに快感を与えたマトリックス(およびその他ユエン・ウーピン系格闘アクション)に比べ、座頭市は端的に言うと「間」を主体に置いたアクションだったと思います。音も、動きも、会話も、アクションシーンにおいてまで、あの映画をすみずみまで支配していたのは、北野武一流の研ぎ澄まされた「間」ではなかったでしょうか。そして、その「間」こそが小津や黒澤から受け継ぐべき日本映画の最大の美徳であるように思います。

思えば、監督・北野武のデビュー作「その男、凶暴につき」(1989)は、海外では「レザボアドッグスに対する日本からの回答がこれだ」と紹介されました(実際には作られた順番は逆なのですが)。座頭市は、黒澤映画へのオマージュであると同時に、マトリックスへの強烈なカウンターパンチとの見方もできると思います。

Posted by: at 2003年09月22日 17:37

”間”という意味では、もしかしたらブルース・リーというアクションの原点に通じるものがあるのかも。「ホァー アターッ」というドラゴンの呼吸法にはシビレたものです。格闘漫画などで、傍目には静止しているように見える二人だが、わざと隙を作って相手を誘い込む、駆け引きの応酬を繰り広げている、それがキサマには分かるまい!などというシーンがありますが、そういう映像表現はあまり見たことが無いので、次なるは”気”の闘いこそが次世代のアクションムーブメントか?

Posted by: Jun Kaneko at 2003年09月25日 13:01

ちなみに、これまでの北野映画は「うーん」と思いつつ、座頭市のこれでもかというエンターテインメント性を気に入ったという人はコンボイ・ショウという劇団の公演をチェックしてみるのもいいでしょう。たけしが「死ぬまでに一度見た方がいい」とまで言った彼らですが、結構通じるものがあります。
先日の名古屋公演では僕と妻の意見が見事に分かれましたが。

Posted by: at 2003年09月27日 02:24
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