「風の帰る場所」宮崎駿×渋谷陽一

架空の空想世界のようでもあり、よく知る昔話のようでもある。宮崎駿さんの創り出す物語がいったいどこから生まれてくるのか?作品個々の、あるいは作品同士がつながりあって描き出される世界観の源「風の帰る場所」。12年間、12万字にもおよぶ宮崎駿監督×渋谷陽一さんのインタビュー集は、千の世界につながる森のような一冊。
宮崎作品を映画館で見た後には、必ず不思議と「この作品を今、日本で日本人として見ることができてよかったな~」と思うのですが、ここでの”日本”、”日本人”という言葉は”この土地”、”この土地に住むもの”と言い換えるほうが正確なのかもしれない。千と千尋の湯屋、あるいはトトロの森のように、造形として存在していなくても、千がハクの背に乗りながら名前をつげるシーン
「ハクきいて、お母さんから聞いたんで自分ではおぼえていなかったんだけど、わたし小さいときに川におちたことがあるの」
「その川は、もうマンションになって埋められちゃったんだって」
「でもいま思い出したの」
「その川の名は…その川はねコハクがわ」

物語の根源が川に収斂するその瞬間に、記憶の中の情景が打ち震える、その感覚が自分の住む土地を意識させるのだと思う。誰しもがもつ記憶の情景から、いかにして物語をつむぎだすのか。宮崎さんの驚異的な想像力が読み取れる、こんな一節がインタビューにはあります。

「僕の山小屋があるところが八ヶ岳の麓の高度1200メートルぐらいのところなんですけど、十六世紀か十七世紀の江戸時代の初めにですね、廃村になった村の後があるんですよ。普通に考えれば、そんな時代にそんな高いところに村なんてあるわけないんですよね。だけど、その村がどうもものすごく古そうなんですよ、平安時代からほとんどそこにあったんじゃないかっていう。それであまりにも高冷なところに村があるものだから、作物はならないし獣害は多いしね、結局そこにすみきれなくなって、もっと下の村に散ってしまったっていうふうに書いてあるんですけど、変なんですよね。なんでそんな高いところに最初に村ができたのかって。それで、そこは今、湧水池になっていて、散歩するのが好きなもんですから、最近よく歩いているんですけど、歩いているうちにこれはひょっとしたら八ヶ岳の麓のほうにかなり昔から古い道が通ってたんじゃないかと思ったんですよ。そしたらそれをまたちょっと書いてくれている人がいてね、平安時代の主要なルートに、その等高線上をずーっと突っ切る道があったらしくて、今は富士見高原って言っても全部木に覆われているんですけど、なんのことはない、信玄がそこを軍用道として使ったなんて記録もあってですね、その前から、その村は農業の村じゃなくて、要するに馬寄場っていうか中継地としてあった村じゃないかと思ったんです。そして、甲州街道っていうのは十七世紀にできた道ですから、そっちのほうに交通の中心が移って、その村の存在理由がなくなって、ただの貧乏な村になってしまったから結局解体せざるを得なかったっていう、そういう仮説が僕の中でできあがったわけですよ。しかも、その村の名前っていうのがね、稗の底っていう貧乏の塊みたいな、すごい名前なんですけど。稗の底なんて稗が底をつくっていうかね、どうも作為に満ちてるような気がしてね、それはなんかその村で馬を飼ってた男たちの悪意を感じるんですよ。そうしたら、そういう目線で見始めたら、その八ヶ岳の麓がね、ただ貧乏でずーっと百姓が苦しんできたっていう村じゃなくて、そこを馬が往来してて、とんでもないところからどんでもないとこに、上田のほうまで抜けていく今のビーナスラインみたいな、これは全然違う歴史があるんじゃないかと思い始めて。したら、それを描きたくて今うずうずしてるんですよね。しかもそれは漫画で書きたいんですよ、僕」
宮崎さんの世界観と、その周辺を埋める現実への視線。ナウシカから千尋にいたる軌跡のなかで話される言葉の情景に身をゆだねられる、そんなインタビュー集でした。

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡 宮崎 駿 (著)
千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集〈13〉 宮崎 駿 (著)
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