植村直己 『青春を山に賭けて』

なんて無鉄砲、そして爽快な人なんだろう。植村直己さんの『青春を山に賭けて』を読みすすめると、思わずこちらまでニコニコしてしまう。五大陸の最高峰登頂、アマゾン河6,000km単独筏下り、犬ゾリ単独行で北極点到達、数々の偉業を打ち立てた歴史的な冒険家、、、のはずなのだが、ひょうひょうとした語り口と、様々なトラブルさえも楽しんでしまうユーモア精神が、本書からはあふれてくる。

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「そうだ、ヨーロッパ・アルプスへ行こう。そして、日本にない氷河をこの目でみよう。」そう思いつくのが、1964年。海外旅行など高値の花の時代に、まずは移民船でアメリカに渡り、物価の高いアメリカで働いて資金をつくり、ヨーロッパに向かうというプランを立てる。まずその時点で、「海外旅行のために貯金をしよう」という今風の思考は微塵もない。日常生活から、すでに冒険は始まっているのだ。

そして、言葉も通じないアメリカの港に降り立ち、カルフォルニアの農場にもぐり込んで、メキシコからの不法移民に混ざって、ぶどうもぎの仕事に汗を流す。ところがある日、ぶどう畑に移民局の一斉捜査が入り、不法就労者として逮捕されてしまう! しかし取り調べの移民官に、いかに自分が本気でアルプスに登りたいのか、その真剣な思いを切々と語ることで、温情をかちとり、「これ以上、アメリカで働いてはいけないが、頑張ってきなさい」とヨーロッパに送り出されるのである。

万事はこんな調子で、ヨーロッパではスキーも滑れないのに、スキー場の監視員として働き始めるが、まじめな働きぶりと山への情熱をオーナーに買われて、大きなサポートをうける。窓もないような四等船室でアフリカにわたり、現地の若者にガイドを頼み、危険な野牛や豹が潜むジャングルを抜け、ケニヤ山、そしてキリマンジャロの山頂を極める。南米の最高峰7000メートルのアコンカグアに、単独登山をするための許可がなかなかもらえなくて、あの手、この手で、現地の警察の所長を口説き落とすエピソードは、陽気なお国柄と相まって、おもわず笑ってしまう。

もちろん、登山のシーンは真剣そのもの。マッキンリー単独登頂の雪中ビバーク、地獄の壁グランド・ジョラス、死者もでたエベレスト。一歩足を踏み外せば、生きては帰れず、あるいはたとえ自分がミスを犯さなかったとしても、絶対的な自然の前で力つきることもありうる。死が驚くほど身近にあるからこそ感じられる生の喜びが、極地の景観をより印象的なものにするのだろう。

そのような迫力ある冒険シーンでも、植村さんならではの視点がそこには感じられる。逆説的でもあるのだけれど、単独登山にこだわるがゆえに、山にたどり着くまでの旅の道中や、その準備において出会った人々についての記述がとても多い。一人で登ることの困難さを知るがゆえに、サポートを受けた人々への感謝の気持ちが深い、ということもあるのだろう。ただ、その感謝の気持ちは、ひとつの山を登ったという個人的な達成感に付随するものではなく、何かもっと大きなものに向けられているような気がする。

人間は、新たな土地を目指して旅立つ遺伝子を持っている。五つの大陸に人類が歩を進めた時代から、何十世代も時を隔てた冒険者の子孫。そのなかのごく一部が、隔世遺伝によって、祖先の血を色濃く受け継いでいる。植村直己さんは、もしかしたらそんな一人なのかもしれない。かれらは地球上を自由に移動することができる。なぜなら、本能がそうしろと告げ、生存に必要な能力は、人類がその長い歴史において自らに蓄積しているからだ。旅をしない人も、彼らを待っている。彼らとの出会いは、忘れかけていた祖先の記憶、人が本来、自由であることを思い出させてくれるからだ。

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青春を山に賭けて (文春文庫 う 1-1)
植村 直己
文藝春秋 1977-01

植村直己 妻への手紙 (文春新書) 落ちこぼれてエベレスト (集英社文庫) 極北に駆ける 100万回のコンチクショー (集英社文庫) 植村直己 (KAWADE夢ムック)

by G-Tools , 2008/02/08