Webは、もはやひとつではない

最近、『ウェブはもはや、ひとつではない』というキーワードについてよく考える。もちろん、インフラとしてのインターネットはひとつだけれども、アクセスの方法によって、ウェブの見え方は大きく変わって来ている。

web-is-not-a-one.jpg
  • 検索エンジンでみつかるウェブページ
  • ソーシャルネットワークで流れるストリーム
  • スマートフォンで利用するアプリ
  • TVやiPadなどのデバイスに直接配信されるコンテンツ

いずれもインターネットを介してデータをやり取りするけれど、目に見える姿は大きく異なる。そして、Facebook内部のプライベートウォールをGoogleが検索できないように、アクセスする方法によってはたどり着けない情報がある。また、言語の壁に加えて、日本から海外の音楽配信サービスやKindleの特定書籍を購入できなかったり、中国の万里の長城など、国や流通による、意図的な情報の遮断もおきている。

インターネットのインフラ自体は大きく拡大しているが、同時に、現実の制約を目に見える形で受けるようになってきている。そして、中東や北アフリカの革命のように、制圧された情報のダムが一気に決壊する現象も同時におきている。

多様なネットワークの、どこで、誰と、どのようにコミュニケーションをとるべきなのか? 『ひとつではないウェブ』の上で、自分が望むネットワークにアクセスするために、物理的なアクションを起こす必要性が生じている。それは、一見すると平穏な日本でも、じわじわとマグマのように地下で蓄積しているような気がするのです。