その土地の食べ物を知るということ

山形県の庄内地方で「地場イタリアン」を掲げる店「アル・ケッチァーノ」をたちあげ、庄内の豊かな食と伝統野菜の存在を全国にしらしめた奥田政行シェフの本、『人と人をつなぐ料理―食で地方はよみがえる』を読みました。

波瀾万丈、臨場感たっぷりのエピソードとともに、奥田シェフの知識と経験則が惜しげなく書き綴られていて、いっきに読み切ってしまいました。そのなかでも、ハッとしたのは次の一文。地元の食材をメニューにそろえはじめた当初、同業者から「地元のものが本当にそんなに美味しいのか」と問われても、「庄内のものは美味しいと体ではわかっているけれども、核となる理論づけがないから、そういう人たちに反論できなかった。(p.42)」その歯がゆさから徹底的に野菜のことを勉強し尽くし、さらにその先の壁を、どう乗り越えたのか、という部分です。

地質学の重要性と、料理人の役割

そうやって、野菜に触れてきて、次に課題というか、壁として見えてきたのは、野菜の種類はとてつもなく多いということでした。つまり、野菜の勉強をすることは、とても時間を費やし大変であるということです。

私がどうしたかというと、地質学の勉強をしたのです。野菜の育つ風土、つまりは水、土、風、日照、そして気候を研究したのです。そして、その結果、畑を取り囲む環境を理解することができ、その中で育つ作物の原理原則がわかって、さらに生産者との深い関わり合いが生まれることになります。

そうすると、今度は、料理人としての自分の明確な役割というものが見えてきます。

それは、大地を翻訳して、大地と人、人と人をつなぐ、という役割です。料理人である私が生産者と消費者あるいはお客さんをつなぐ。そういう役割を担っているという意識をもつことによって、魂の置き所が変わり、自分だけの料理ができ始めるのです。

その役割をイメージしながら、料理を作ると、いろんな料理ができてきます。

脂肪分のないタラを柚の油にいれ、火をゆっくり入れる。

焼くと油が出る鮎は、油を吸うナスの上にのせて上火で焼く。

ラタトゥーユという洋風野菜の煮込みがありますが、日本の野菜をみずみずしいので、ラタトゥーユをすべて生の野菜でやる。味は塩のみ。そして、野菜の酸味、苦み、とろみだけで調理していく。

そんな料理を作っていくうちに、庄内の食材のすばらしさをだんだん確信していくことになるのです。庄内という土地は、すばらしいところだと確信していくわけです。

(p.70)

自分自身、地元の野菜を料理して食べるようになって半年ぐらい。間違いなく、美味しいし、楽しいということは、体でわかってきたのだけれど、その楽しさを説明するのは、意外と難しいことに気づきました。朝市に通っている人同士では、あたりまえのように感じることが、そうでない人には、なかなか通じない。

奥田シェフは、その疑問を、自らの料理に昇華させ、誰もが納得する味、という答えを導き出した。その課程で、土地を理解すること、地質学を勉強することがキーになっていた。

旅に出かけたら、その土地ならではの、美味しいものを食べたい、とは誰もが思うはず。食と土地は密接に結びついていることは、本能的に知っているのに、なぜか日常の食卓ではスッポリ抜け落ちていることが多い。

なんとなく、それは想像力に関係するような気がするのです。自分の住む土地の、海や港、山や畑がどこにあって、どんな人が、どのように食べ物をつくっているのか? そのイメージがあるかないかで、料理をする楽しさが全然変わってくるのではないだろうか。

とはいえ、食と土地が切り離されたのは、せいぜい、過去50年ぐらいのことだと思うので、人は感覚的に「何かが足りない」ということには気づいてしまう。その穴を無理矢理、情報や欲求で埋めようとするのが現代。実は意外とシンプルに、目の前の野菜が、どのように育っているのかを想像することができるかどうかが、重要な気がするのです。

人と人をつなぐ料理―食で地方はよみがえる
人と人をつなぐ料理―食で地方はよみがえる